濵井 德三 Tokuso Hamai

失った命は二度とかえらない

7. 出会いと「記憶の解凍」

2016年、こうの史代原作の「この世界の片隅に」が、片淵須直監督によって劇場映画化されました。それに先立ち、2014年、監督が当時の家並みなどを忠実に再現するために、主な舞台となる呉を中心に広島にも来られ、被爆前の町並みなどを調査されました。主人公のすずが、後に夫となる周作と出会う町として中島本町が設定され、当時の家や商店の外観が残っている資料を探しておられました。私の家にも当時の写真を見せてほしいとやってこられ、白黒の写真でしたので、私が色の説明などをしました。一日がかりで様々な写真の説明や家族についてお話しましたが、実際に映画の中に出てきた我が家はたったの4秒だけでした。後に我が家の模型を作って下さいました。1945年8月6日に一瞬にしてガレキと化してしまい、写真の中でしか見ることができなかった懐かしい我が家が、私が覚えている間に再現されたことはたいへん嬉しいことでした。現在、資料館にあります。

2015年に私は「濵井家」の墓を建てました。片淵監督に「お墓を建てても、いまだに両親が亡くなったことは信じられないんですよ。」とお話しましたら、監督は目に涙をためておられました。

2017年に、平和公園で地元テレビ局の取材を受けていました。その時、広島女学院の高校生一万人署名活動のメンバー達が、核兵器廃絶に向けて署名活動をしていました。その中の1人の高校1年生の庭田杏珠さんが、私に声をかけてくれました。ぜひ女学院で被爆体験を話してくださいということでした。庭田さんは女学院の「ヒロシマ・アーカイブ」実行委員会のメンバーでもありました。「ヒロシマ・アーカイブ」は、東京大学大学院の渡邊英徳教授が、2011年に立ち上げたプロジェクトで、被爆者の証言、写真、地図などをデジタル化しデジタル地球儀上で世界中から見られるようにした「デジタル・アーカイブ」です。女学院ではそれまでも被爆者の証言を多数収録していて、渡邊教授の技術と女学院の被爆証言の蓄積がうまく合致した活動でした。

後日、アルバムを持って学校にお話に行きました。庭田さんは私の話を聞き写真を見ながら、写真をカラー化してプレゼントしてあげたいと思ったそうです。白黒写真をAIを使ってカラー化する技術は、2016年早稲田大学の石川博教授らが開発し、オープンソースとしてウェブ上で公開されていました。私は庭田さんからいただいた写真を見て、まるで家族が生き返ったような錯覚を覚えました。そしてすっかり忘れていた記憶が次々とよみがえっていきました。渡邊教授と庭田さんはこの技術を使って「記憶の解凍」というアプリを作成し公開しておられます。

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