早志 百合子 Yuriko Hayashi
奇跡に生かされて
5. ABCCのモルモットにされた
1951年、中学2年生の時、突然自宅にジープに乗ってアメリカ人の屈強な男性2~3人がやってきました。英語でなにやら言ったのでしょうが、私は何のことかさっぱりわからないまま、無理矢理ジープに押し込まれ、どこかに連れていかれたのです。まるで拉致か人さらいのようでした。あっという間の出来事でした。
ジープが着いた先は、比治山にあるABCC(原爆傷害調査委員会、現:RERF 放射線影響研究所)でした。受付のところで英語で書かれた書類を見せられ、サインをさせられました。そして、小さな20センチ四方ほどの白い布にヒモが2本ついたフンドシのようなものを渡されました。部屋に連れて行かれ、全裸になり、その布を体の前に付けるように指示されました。その部屋には壁一面に将棋の碁盤の目のような線が描かれていました。私はその前に立たされ、いろんな方向に向くように指示され、写真を撮られたのです。部屋には白衣を着た男性医師が5~6人いました。私は14歳のちょうど思春期の真只中です。怖いし恥ずかしいし、じっと歯を食いしばっていました。
このような検査は高校生になっても、年に一度、計4回続けられました。2回目からは小さな布すら渡されず、全裸で男性ばかりの医師たちの前に立たされ、写真を撮られたのです。
ある年、唇を強くかみしめていたため、自宅に帰って後、唇に血がにじんでいるのを母に見られてしまったのです。その時、初めてABCCで何をされているのかを母に話しました。それまでは具体的なことは母を含めて誰にも話していませんでした。ただ戦争に負けたというだけで、なぜこんな辱めを受けなければならないのかと悔しかったです。また血液検査では大きな注射器で大量に血を抜かれ、貧血で倒れたこともありました。
高校3年生の時は迎えのジープが学校まで来て、逃げる私を追いかけて校庭をグルグル走り回ったこともありました。私は友達の助けを得て、何とか隠れることができました。その翌年からはジープが来なくなったので、私は逃げ回ったのがよかったのかと思っていましたが、後で母が強く抗議してくれていたことを知りました。