平野 貞男 Sadao Hirano
戦争は絶対にしてはいけません
5. 語り部活動
62歳の時に初めて心筋梗塞を起こして以来、これまで5回心筋梗塞を起こしました。2回目まではカテーテルでのバイパス手術でしたが、3回目は開胸手術になりました。75歳で3回目の手術を受けた時、「核兵器の恐ろしさを誰かに伝えずに死んでも良いのか?」と考えました。それまでは「あの日」を思い出さないように生きてきたのに、急にそんな思いが頭をよぎったのです。
ちょうどそのころ、町内会の清掃活動で、近所に住む豊永恵三郎さんが私のケロイドを見て、ぜひ彼が主宰している語り部の会に入って被爆体験を話してもらえないかと言われました。最初はお断りしていたのですが、一度見に来てくださいと言われ、平和公園で証言されている姿を見に行きました。自分が経験したことを語るだけなら私でもできるかなと思いました。2009年に初めて証言をして以来これまでに284回(2024年5月現在)証言をしてきました。
大勢の人々の前で話をしていると、足の先からこれまでの苦しみや痛みが、わ~とわき上がってきて声を出して泣いてしまったこともありました。その苦しみや痛みというのは原爆だけではなく、これまで生活をしてきた中で感じてきた苦しみや痛みでもありました。「すみません。こらえてください。」と言って抑えようとしても抑えきれないのです。そんなことが2度ありました。
小さな集会から300~400人もの大きな集会まで、立ったまま1時間ほど話をします。原稿もありません。体が辛くても、遠くから来られる人はもう二度と被爆者の話を直に聞く機会はないかもしれないと思い、活動を続けてきました。日本国内では北海道から九州まで、沖縄を除くすべての都道府県から来られた人達に、また海外からの方々にも証言しました。証言ができる被爆者の数も年々減ってきています。体が辛くても私には証言をするという使命があると思っています。