平野 貞男 Sadao Hirano
戦争は絶対にしてはいけません
2. 8月6日
この日の朝は、雲一つなく空は晴れ渡っていました。私は師範学校の校庭で同級生達と9時から始まる建物疎開に出かける準備をしていました。先生の点呼が始まり、みんな朝礼台の方へ向かっていました。ちょうどその時、オレンジ色の閃光を浴びたのです。警戒警報も空襲警報も何もありませんでした。突然の出来事でした。私はまるで数秒間ジリジリと体を焼かれたように感じました。その瞬間には不思議なことに熱いとは思いませんでした。「あ~!光!これは何だ?」と思い、あわてて日頃から訓練を受けているように、手で耳や目や鼻を覆い、うつぶせになりました。

次に来たのがすざましい爆風でした。その爆風で舞い上がった砂埃で、あれほど晴れ上がっていたはずなのに、あたりは薄暗くなっていました。それは息も苦しくなるほどでした。伏せた体勢から校舎の方を見ると、校舎がふわっと浮き上がったのが見えました。

少し明るくなって同級生達を見ると、唇はまっ赤に腫れ上がり、服もぼろぼろに焼けていました。この時になって初めてみんなそれぞれに「痛いよ~」とか「熱いよ~」とか「お母ちゃん~」「帽子がない!」などと口々に声を上げていました。その時校庭にいたのは、1年生の3クラス150人ほどでした。私達はとにかく逃げようということになりました。ほとんどの生徒が西側から電車通りに出て、線路沿いに宇品方面に逃げたようです。私は家の方角が北側でしたから、近くにある小高い丘の比治山を目指すことにしました。

学校の北側に陸軍電信隊があり、学校との間にレンガ造りの塀がありました。そこを乗り越えようとしたら、ズボンの足元に巻いていたゲートルがくすぶっているのに気づきました。他の生徒の足下も同じようにくすぶっていました。それをお互いに素手で消し合いました。レンガ塀を乗り越えたところは葦が生えた湿地帯でした。もうみんな着ている物もボロボロ、皮膚もボロボロでした。その上に真夏の太陽が照りつけ、まるであぶられているようで気が狂いそうでした。両手を前に突き出しお化けのような格好で歩いて行きました。
ようやく比治山に辿りついたものの、麓にあった防空壕はすでに人でいっぱいで中には入れませんでした。「痛いよ~」「熱いよ~」といううめき声が壕の中で響き渡っていました。防空壕の中では、1人の男の人のお腹に折れた棒が刺さっていて、2~3人の兵隊さんがその棒を引き抜こうとしていましたが抜けませんでした。防空壕の外にいると、同じ船越から通っていた同級生が2人いました。私達3人は傍を流れていた小川で水を飲もうとしましたが、私は焼けただれた皮膚が突っ張ってしゃがめず、近くにいた兵隊さんに短剣で膝の裏の水ぶくれを切ってもらいました。火傷がひどく立っていることも困難でしたので、山の斜面を背にして休もうとしましたが、斜面の砂が傷に食い込み痛くて休むこともできませんでした。
近くにいた担架に載せられた兵隊さんが、「水をくれ!」と言っているのが聞こえました。一緒にいた別の兵隊さんが、「何か言い残すことはないか?」と尋ねていました。そして水を飲ませた途端に、担架の兵隊さんは息絶えてしまいました。以前から火傷をした人に水をあげると死ぬと言われていましたが、本当にその兵隊さんは死んでしまったのです。

かなり長い間、比治山の防空壕の外にいたのですが、家に帰ろうということになり、比治山の東側に降りて段原に出ました。段原は比治山の陰になって延焼を免れていました。歩くといっても、まるでお化けのように頭を垂れ、両手を胸の前に挙げ、そろりそろりとしか歩けませんでした。真夏の太陽が原爆で焼かれ火傷をした体に容赦なく照りつけていました。
段原郵便局の前に、水が入ったバケツ3個と1本のヒシャクが置いてありました。おそらく誰かが被災者のために置いてくださったのでしょう。私達3人は夢中で飲みました。まるで生き返ったようでした。そして再び3人で肩を組みながらとぼとぼと歩き始めました。大洲まで来たところで、ちょうど市内中心部へ救援活動のために到着したバスが止まっていて、救援隊の一団がいました。そしてそのバスに乗せてもらい家の近くまで送ってもらいました。家に辿り着いたのは夕方の6時ごろだったと思います。
母は私が右手に何か握っていることに気づき、指を一本ずつ開いてくれました。私が握っていた物は火傷で落ちた皮膚が黒く固まったものだったのです。母はハサミを持ってきて、その塊を切り落としてくれ、日本酒で全身を消毒してくれました。そして残った日本酒を私の口に入れてくれたのですが、私はアルコールがまわって気を失ってしまったのです。
どれほど時間が経ったのか、日数が経っていたのか全く分からないのですが、気がついたのが夜だったことだけは覚えています。私は突然左肩にカンフル注射を打たれて意識を取り戻しました。注射を打った白衣の人は、どうやら原爆の調査をするために被爆者を探していた研究者ではないかと思います。がっしりとした体格の人でした。私が目覚めると、閃光や火傷や被爆した状況などを詳細にわたって聞かれました。そして被爆時に着ていた焼けたズボンやシャツ、ゲートルなどを持って帰られました。