伊藤 正雄 Masao Ito

Never ForgetからNever Againへ

6. ピースボートで世界一周

2015年4月12日、私は被爆者としてピースボートに乗船し、約3ヶ月に及ぶ世界一周の旅に出発しました。これが私にとっての初めての海外旅行でした。シンガポール、インドを皮切りに、スエズ運河を経由してキプロス、トルコ、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、ドイツ、デンマーク、ポーランド、ロシア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、ベネズエラ、ニカラグア、グァテマラ、ハワイなどの港に寄りながら、私たち被爆者は各寄港地で順に被爆体験をお話しました。被爆者は有名な観光地に寄港しても、観光はできません。寄港する度に一般の乗客は観光ツアーに出かけますが、私たち被爆者は各地に出向いて被爆体験をお話しました。主な行き先は平和首長会議加盟都市でした。(2022年12月1日現在、加盟都市数166ヶ国8228都市)国会や市議会に招かれお話したこともありました。

旅の途中では様々なハプニングもありました。予定ではエジプトに寄港することになっていましたが、政情不安があったことで寄ることができませんでした。ギリシャの国会でお話した時は、各党の党首のスピーチが長すぎて、出航時間が迫ってきて、せっかく用意して下さっていたレセプションに参加できず残念でした。ロシアのサンクトペテルブルグでは、一人の被爆者がお父さんのシベリア抑留の話をされました。その時、涙を流して謝罪されたロシア人がおられました。

ノルウェーのベルゲンでは、日本語を様々な学校で教えておられる日本人の先生が話を聞きに来てくださいました。彼女はそれ以前も学生を連れて毎年広島を訪れておられたそうですが、この出会いの後は、広島に来られる度に交流を続けています。

私は、ヨーロッパのどの町も、第一次世界大戦、第二次世界大戦で戦火に焼き尽くされ、破壊されてきたはずなのに、美しく復興を遂げている姿に驚きました。同様に広島も長崎も今は美しい町に復興しています。ただ建物は元の姿に戻すことはできても、そこで失われてしまった命は二度と戻ってきません。そして広島・長崎ではいまだ放射線障害で苦しんでいる人達がたくさんいますし、被爆二世、三世も今後自分の身体に何が起きるか不安を抱えています。

また同じ被爆者として乗船されていた堀江壮さんとは、この時初めてお会いしたのですが、話をするうちに同級生で、家が隣りの学区にあり、共通の友人がいることも分かり、意気投合しました。彼はチェルノブイリ事故や福島原発事故に憤り、この翌年、広島地裁に伊方原発3号機運転差し止め訴訟の原告団長として訴訟を起こされました。私は彼に誘われ、現在副団長をしています。私たち訴訟団のスローガンは、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する-過去は変えられないが未来は変えられる」です。

伊方原発訴訟団ポスター

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