被爆者の絵
1974年と1975年、NHKが「市民が描いた原爆の絵」を募集した際に、2000以上。
2002年に広島市、 NHK、中国新聞社が共同で募集した際に、1500以上の応募がありました。
ここでは、その一部を紹介します。絵の中に記載された文章は、当時の状況、解説、思いなどが綴られていて、貴重な証言となっています。
※これら絵、絵中の解説の転載、配布等はできません。
転載等希望の場合は、広島平和記念資料館及び著作権者の許可を必要とします。
- 1. 片目がとび出た男がこちらに向かってくる
- 2. 迫りくる火から逃れるため川に入るが、多くの人々が流された
- 3. 女の子の母親を助けることができず、「許してください」と合掌しその場を離れた
- 4. 建物の下敷きになった我が子を助け出すことができなかった母親
- 5. 校舎の下敷になった子どもたち
- 6. 死んだ子どもを背負い、逃げる母親
- 7. 二人の子どもをかばい、焼け死んだ母親
- 8. 鶴見橋付近、水を求めながら亡くなった女児
- 9. 我が子を焼きに行く母親
- 10. 焼けた電車の中の炭化した死体、死体・・・
- 11.腰掛けたままの乗客の死体
- 12.防火用水にむらがり息絶えた人々
- 13. 重なりあったまま死んだ動員学徒たちと我が子の名を呼ぶ母親
- 14. 水漕の中で死んだ市女の生徒と先生
- 15. かろうじて焼け残った建物に避難した虫の息の被災者
- 16. 線路の上に2列に並べられた被爆者
- 17. 川に浮かんだおびただしい数の死体を船に引き上げる
- 18. 皮膚がむけ大きく膨れ上がった死体が川面に漂う
- 19. 焼け跡から黒焦げの死体を運んでは火葬する
- 20. 我が子を荼毘に付す