笠岡 貞江 Sadae Kasaoka

一度に両親がいなくなった寂しさは、とても言い表すことはできません

3. 両親の死

翌朝、兄は父を荷車に乗せて帰ってきました。しかし私には荷車の上に横たわっている人が、父だとはとても思えませんでした。頭から足まで真っ黒で、まるで油絵具のチューブを搾って、体中に塗ったみたいでした。また顔は腫れ、目はギョロッとむいたままです。唇はザクロのようにめくれ上がっていました。「水をくれ。」「キチとは、逃げる途中ではぐれた。」という声で、ようやく父だと分かりました。水をくれと言われても、水をやると死んでしまうと聞いていたので、「水道が止まって水は出ない。」と嘘をつきました。

本当にお父さん? 絵:小川美波

私は水の代わりに何かあげる物がないかと、畑に行ってみました。赤いトマトの実が目に入り、大急ぎで一つもいでカゴに入れた時、畑の向こう側に手を胸の前に突き出し、ボロ切れを身にまとったような大勢の人々が見えました。みんな髪の毛はぼうぼうに逆立ち、体は灰色か白で、まるで幽霊が行列をしているようにソロリソロリと歩いていました。後で聞いたのですが、歩いていた人々の体が白や灰色だったのは、爆風で舞い上がった埃や灰が体に付着していたからだそうです。私は恐ろしくなって、「幽霊!」と叫び、トマトのことも忘れ家に走って戻りました。畑から数百メートル先に、陸軍病院江波分院があったので、みんなそこを目指していたのでしょう。けれども一体どれだけの人が診てもらえたでしょう。

ああ!幽霊だ!! 絵:高山愛季

父の体からは異様な臭いがしていました。魚が腐った臭いに膿の臭いが混ざったような、表現できないような悪臭でした。つけてあげる薬もなかったので、キュウリやジャガイモをすり下ろしペースト状にしたものを体に塗ってあげたのですが、体が熱くすぐ乾いてしまいました。私の手が少しでも触れると皮膚がズルッとむけるのです。そしてそこにハエが群がってたかります。よく他の被爆者の方が、箸でウジ虫を捕ったと話されているのを聞きますが、父の場合は一匹ずつ箸でつまむなんていう数のウジ虫ではありませんでした。ほうきで掃いて取りたいと思ったほどでした。生きている人間の体の中にウジ虫が出たり入ったりするのです。私はとにかくハエがたからないようにうちわで扇いでいました。

払っても払っても寄ってくるハエ、異様な匂いに群がるウジ 絵:今村遥香

8日になるといよいよ父の死が近づいているのが分かりました。私は、土蔵に酒好きの父のために、母がビールを隠していたのを思い出し、急いで取りに行き、飲ませてあげようとしましたが、もう父はビールすら口からこぼすばかりで飲むことができませんでした。父は夕方息を引き取りました。最後まで母や疎開している弟のことを心配していました。あれほど水をほしがったのに、水をあげなかったことは、今でも胸がいたみます。

兄は、7日、父を連れて帰った後、翌8日と二日間母を探しに出かけていました。誰かに、「お母さんは、似島に運ばれたんじゃないか。」と聞き、9日は似島へ探しに行きました。似島は宇品港から4.4キロ南にある島で、当時陸軍検疫所があり、原爆投下後、臨時救護所となり大勢の負傷者が運び込まれていました。兄はそこで、ようやく犠牲者名簿の中に母の名前を見つけました。母は前日8日に亡くなったと書いてあったそうです。そして白い10センチ角ほどの袋をもらって帰ってきました。袋の中には髪の毛と遺骨が少し入っていました。似島で亡くなった大勢の人をまとめて焼いたはずなので、袋に入っていた遺骨が母のものかどうかは分かりません。

母がなぜ父と離れて似島にいたのかは分かりません。川を歩いて渡って家に帰ろうと、潮が引くのを川岸で待っていたところを、ケガ人を運んでいた軍の船が通りかかり似島まで運ばれたのかもしれません。

私たちは兄が戻ってから父を棺桶に入れ、浜辺に運びました。棺桶は、祖母が知人に作ってもらっていました。浜辺ではあちこちに大きな穴が掘られ、次々に死体と薪が投げ入れられ、焼かれていました。兄が穴を掘っている間に、私は木切れを集めにあちこち歩き回りました。近くの港に行ったところ、係留してある船と船の間にたくさんの死体が浮かんでいました。周りの人から「(川には死体がいっぱい浮かんでいるので、)子供は川を見ちゃいけんよ。」と言われていましたから、川は見ていなかったのですが、この港の中にまで死体が流れ着いていたのです。ところが私はそれを見ても何も感じませんでした。それまで近所の人たちや友達が亡くなっていくのを見ていましたし、父も亡くなりました。多分、人間として普通に持つ感情を失ってしまっていたのでしょう。

港の船の間に浮き沈みする死体 絵:西岡優華

拾い集めてきた木切れを棺桶とともに穴に入れ、火をつけました。焼くのに10時間ほどかかりました。また夜がふけると、浜辺のあちこちで青い火の玉がたくさんふわふわと漂っていました。後で聞いたところでは、死体から出るリンだそうですが、私には亡くなられた人の魂が漂っているように思えました。死にたくて死んだ人はいません。みんなこの世に心を残して焼かれていったのです。その魂が漂っていたとしか思えませんでした。 数日後、少し落ち着いてから、五日市に嫁いでいた姉が、県北の三次に疎開していた弟を迎えに行ってくれました。姉は、道中弟に両親が亡くなったことを言っていなかったみたいで、弟は家に入ってくるなり、「おとうさん、おかあさん、ただいま!」と大声で挨拶していました。兄が仏壇を指さすと、涙も流さずに呆然としていました。

ヒロシマ~昇る魂~ 絵:立川奈緒

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