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2007年06月27日

スェーデン編1

初めての旅

 広島の我が家の近くにスウェーデン人のキリスト教宣教師ヨーディス・アンデルソンさんが住んで居られた。彼女には世界各地から夥しい数の来訪者があった。その度に、私は被爆爆体験を語り原爆資料館を案内した。1995年9月、彼女が休暇で一事帰国されたので、彼女を追っかけてスウェーデンを訪れることにした。準備をしていると親しい友人たちも行きたいと言い出した。日を追って希望者が増え続け、総勢17人になった。

 最初の訪問地ストックホルムでは、日本語が堪能なカリン・ヤンソン牧師の教会を訪ねた。その後、私がストックホルム周辺を平和行脚する際には、彼女が何度も通訳をして下さった。(2003年末、54歳の若さで心臓発作のために逝去されたと悲報があった時、私は、自分の気持ちをどう処理してよいか分からなかった)。

 2日後、一行は南の内陸部・ヨンショピンに移動した。

 パーティーの料理は持ち寄りで、私たち日本人はバラ寿司と餃子を供することになっていた。仲間が用意している間、私は新聞社からインタビューを受けた。

 手短に被爆体験を話しただけなのに、記者の目には涙があふれてきた。彼は「私の国は戦争をしないので、そんな恐ろしいことを想像する力なんか私にはありません。今の世界情勢を思えば、私の国が世界平和実現にむかって貢献することが必要です。いい記事を書きます」と言って、金色の産毛が光っている腕で涙を拭った。若くて弱々しい感じの青年記者だった。

 パーティーはスウェーデンの民族音楽団とダンシングチームが流れこんできて始まった。私たちも輪に入って踊った。

「日本人の体格が小さい理由が分かった。細い2本の箸では食べ物を口に持っていくまでにこぼれてしまう」と、老齢の男性が言った。交流は夜がふけるのを忘れさせた。

 翌日、私の記事が新聞に載った。それを読んだ人たちから、被爆体験を語るために再来をと要望がでた。ヨーディスさんは「私が通訳するからツアーをしよう」と、言われた。それが実現したのは、彼女が引退されて帰国後、2001年からのことだった。