「戸坂原爆の記録」への思い

広島市は中国山地を源流とした太田川が造ったデルタ地帯である。1889年、市制が施行され、城下町から近代都市へと歩み始めた。市の中心に位置する広島城の内部は陸軍の要地としての役割も担うようになった。陸軍病院も設置され、その分院は地方の各所にも設けられた。

1945年8月6日、広島市の中心に原爆が投下された時、川に沿って上れば戸坂村に陸軍病院分院があると、大勢の人が殺到したという。爆心から6キロ北方の農村地帯であった。

時移り、人変わり、広島市に合併されて新しい町名となって今に至っている。

私の家族が戸坂に造成された桜ヶ丘団地に住み始めたのは被爆から20年経っていた。まだ家がまばらで、幾種類ものカエルが大威張りで合唱をしていた。

66年、娘が戸坂小学校に入学した。古い小さな校舎だった。団地造成によって人口が急増したからと、講堂に間仕切りして教室にしていた。入学時は2クラスだったが、卒業時には11クラスもあったといえば、戸坂の人口増加の変遷が分かって貰えるだろう。

桜ヶ丘団地は山を背にしている。その中腹に新しい墓苑が出来た。古くから戸坂村に点在していた墓を広島市が整備して移動させたものだった。やがて、その一隅に我家の墓を建てた。戦前に死んだ弟の名を彫ったが、原爆投下で遺骨も位牌も失ったので墓石の下は空であった。だが、私たちは春夏秋冬、墓参をした。建ち並ぶ他家の墓石に「昭和二十年八月六日没」とか、原爆死を思わせる日付が刻んであるのは、広島近辺にある墓地群と同様である。

何度目かの墓参のとき、墓苑の入口近くにある「供養塔」と彫った石柱に目が止まった。そこに立て掛けてあった小さな板切れを読むと、原爆犠牲者の供養塔と分かった。

いつぞや「桜ヶ丘で原爆で死んだ人を焼いたんじゃ。そんなこと言ぅたら団地が売れんけぇ黙っとろうゃ言うことになっとるんじゃ」と、何処からか父が聞いてきたと言っていた。

私は「供養塔」に関わる逸話を知りたいと思ったが、周囲は新住民ばかりで情報を得る機会がなかった。しかし、墓参の都度「供養塔」に献花することは忘れないようにした。

「戸坂国民学校は陸軍病院の分院じゃった」「戸坂村の人たちが死体の片付けをしたんじゃと」などと、父が聞いてくることもあって、被爆当時の様子がおぼろげながら見えてくるようになった。

騎兵隊の門柱を「供養塔」の石材にしたとか、くるめ木神社の神官が揮毫されたとか、わずかながら当時を知っている人が教えてくれた。しかし、娘が戸坂小学校に在学中も、甥たちが在学中も、小学校では「被爆当時の戸坂村」については学ばなかったと言う。事実を忘れてはならないと考えた私は「供養塔」を題材にした「八月六日の指きりげんまん」という児童向けの小説を書いた。

ここで、現在の戸坂小学校の名誉にもかけて申し添えるが、最近は平和学習の一環として「戦時の戸坂」の学習をされていると聞いている。

02年、私は茨城県牛久市に移転した。父の遺品は数個の段ボールに詰めたままになっている。数ヶ月前、広島の資料を探すために開いた時「戸坂原爆の記録」を見つけた。その冊子に集録されているのは被爆者の手記もあるが、圧倒させられたのは原爆目撃者の証言記録であった。

私はHSOのメンバーたちに知らせた。この冊子を前にした面々は、被爆者の支援をされた村民の皆様の体験は、次世代に伝えなくてはならないと語り合った。

戸坂公民館をお訪ねすると、すぐさまHSOの主旨を理解し、協力の態勢をとってくださった。

これらの記録を公表するに際しては執筆者それぞれから承諾を得なくてはならないが、公民館の迅速な対応によって、執筆者の方々から快諾の返事を頂くことが出来た。もし、それらの作業をHSOがするとしたら、かなりの労力と時間を要したに違いない。深く感謝を述べることとする。

時すでに遅く、すでに鬼籍に入って居られる方々にお許しを得られなかったのが残念である。もっと早く、この冊子を手にしていればと悔やまれることしきりである。

今更ながら、ヒロシマを記録し伝えることは、人類が核戦争に巻き込まれないための警鐘であると信じるHSOは、その作業を失速することは許されないと、心を引き締めているところである。

最後に、「戸坂供養塔」に捧げられた一編の詩を掲げて、この章を閉じることにする。

橋を渡り 川を泳ぎ
たどりついた陸軍病院分院近く
名を告げる力さえなく
目を閉じた人たち
騎兵隊の門柱の碑
六百人とも 数知れず
伊藤眞理子:<詩集:あした  きらきら>より

Hiroshima Speaks Out
村上 啓子



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