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序文

「あしたきらきら」によせて

広島にある原爆慰霊碑100基を題材にしている詩画集「あしたきらきら」は、伊藤眞理子さんのやさしい言葉使いの献詩、故・山崎盛夫さんの柔らかい筆致の絵で構成されている。

原爆を題材にしたこの種の芸術作品は、悲惨、憤怒、哀悼、懺悔など、もろもろの思いをありったけの手法を用いて強く表現したものが大かたを占めている。
ところが、「あしたきらきら」はページをくる毎に、安らぎをもたらせてくれる。

その源は何だろうと、不思議な思いにかられて、伊藤眞理子さんに質問したら、「怒ること、憎むことからは何も生まれない。残された者の一人としての私は、多くの犠牲者にやさしく語りかけたいのです。更には、今を生かされている人たちが、きらきら輝いて生きることが、犠牲者への追悼になると思います」と言われた。 故人の山崎盛夫さんからは、絵の意図を聞くことが出来ないが、夫人の山崎眞里子さんに同じ質問をしてみたところ「私の父が被爆死しましたので、毎年8月6日に原爆慰霊碑にお参りしておりました。夫が供養のつもりで各所にある原爆慰霊碑を描き始めましたら、絵の好きな子どもも一緒に行くようになりました。広島の被爆の実相を父子で語りあったようです。それが、我家の次世代への継承でございました」とコメントして下さった。

この詩画集は、日本語と英語が併記されていたので、国の内外にヒロシマを伝えるには格好の出版物だが、残念ながら1994年8月6日の初版のみで廃刊になっている。

再版したい。そう考えたHSOは、初版の「あしたきらきら」には付記されていなかった慰霊碑の解説を加えたい、移設されたのや改築された慰霊碑もあるので、足で確かめよう、当事者にも会ってみたい、HSO独自で翻訳したいと構想を膨らませていった。

完成までの作業は、手間取ったが、HSO自身の内的学習には役立った。
作業を始めた直後、HSOの主要メンバーの一人が急逝した。彼女が入力した原稿を基にして、この作業が進展したのは、忘れ難い思い出である。

ヒロシマスピークスアウト

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