鶴の大群がヒロシマへ
村上啓子
「ヒロシマを世界へ発信」がHSOのモットーです。同じ思いで活動している人たちや平和を築こうとして学習している人たちへエールを送ることも積極的に関わっています。
① 2007年6月19日、マリンバ奏者の古徳景子さんとHSOメンバーの村上啓子はアルゼンチン、ブエノスアイレス日本人学校を訪問しました。飛行機の到着が遅くなってメールで約束してあった時間に大幅に遅れたのですが、快くお迎えくださいました。明るく活発な生徒さんたちにヒロシマを語り、戦争や核兵器について対話をしました。生徒さんの反応が敏感なのは異国に住んでいるからでしょうか。
生徒さんたちから羽にサインをした折鶴を託されました。
(ブエノスアイレス日本人学校で広島を語る)
(みなさんと一緒に)
② 2007年6月20日、景子さんと村上啓子は、ブエノスアイレスの打楽器奏者たちと交流しました。なかでも景子さん共演者、ガブリエルさんとヘクトルさんは景子さんの曲「学」が、歴史から学ぶべしと呼びかけていることに共感して、大勢の仲間に呼びかけて集会やコンサートを催してくださいました。折鶴の学習会もしました。みんなで折った鶴も託されました。
(折鶴の完成に歓声!)
③ 2007年7月10日、東京都世田谷区砧南小学校で、元宝塚歌劇団員だったノリコさんによる「サダコと千羽鶴」の朗読と、HSOメンバー村上啓子が被爆証言をしました。終わった後、生徒さんたちは礼儀正しく順番を待ってノリコさんや村上に「戦争を失くすのに何が一番大切ですか」「はだしのゲンのお父さんは、戦争をしてはいけないと正しいことを言ったのに、何故、非国民と言われたのですか」「被爆者と握手したい」などと鋭い質問や、優しい言葉をかけて下さいました。
そして・・・一週間後、生徒さんたちが折った鶴が大きな段ボールにイッパイ、届きました。それは生徒さんたちの自然な気持ちの高ぶりから折った鶴で、先生や父母の干渉は全くなかったそうです。ちょっと、傷ついた鶴も居たのですが、手当てをして、全部、ヒロシマに届けることにしました。
村上は、せっせと糸でつなぎました。取材に来られていた広島テレビの渡辺由恵ディレクターもお手伝いしてくださいました。
(1311羽の鶴をつなげる)
④ 2007年7月30日、ミシガン州カラマズー市から来られた二人の高校生に手伝ってもらって、たくさんの折鶴を「原爆の子の像」に捧げました。その夕刻、広島テレビの「テレビ宣言」に、その様子が放送されました。
(原爆の子の像の前にて)
(託された鶴を捧げる)
注:ミシガン州カラマズー市は1963年より静岡県沼津市との姉妹都市になっていて、隔年に相互訪問を繰返しておられます。2005年から訪日された人たちの中に希望者があればヒロシマ学習をするプログラムを創設されました。HSOは、初回から学習のお手伝いをしています。勿論、宮島への案内もです。