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アメリカの大学生たちが「原爆」を学ぶために来日

広島~長崎で、彼ら熱心に質問しノートにとる

 2008年5月24日から6月2日までの予定で、アメリカ、ニューヨーク州のColgate大学から、教授2名と学生29名が広島・長崎で平和学習をするために来日した。広島でのスケジュールなどはHIROSHIMA SPEAKS OUTがアレンジした。

 彼らは、来日前に、井伏鱒二の「黒い雨」や大江健三郎の「ヒロシマノート」を読み、おおまかな原爆投下の実相は、学習しているということだった。
 そこで今回は実際の被爆者の話を中心に据えつつ、核兵器の恐怖は過去の出来事ではなく、現在の恐怖であることを学んでもらうようなスケジュールにした。

 資料館では熱心にボランティアの説明を聞いていた
 特に核保有国であるアメリカの若者たちである。将来、アメリカ社会の中心的な役割を果たすであろう彼らに、核兵器を持つことで、国民の安全や平和を守ることができるのかどうか、を考える機会にしてもらいたいと思った。

 24日の午前中、原爆資料館での学習と広島市平和文化センター理事長のスティーブ・リーパー氏による講演を聞いた。

 リーパー理事長は、まず現在の核兵器の拡散状況を説明し、拡散を防止するために結ばれているNPT条約の不平等さ、抜け道について話された。また核兵器はなぜ廃絶されるべきなのか、どのようなプロセスで廃絶が可能か、広島市はどのような努力をしているかなどを、論理的に分かりやすく話された。

 学生たちは、話の一字一句を聞き漏らすまいと熱心にノートを取っていた。
 講演後の質疑応答でも、具体的な質問が次々と出された。質問に答える中で、リーパー氏は核の平和利用について、個人の立場としてと前置きしつつ、
 「廃棄物処理の難しさ、危険性などを考慮し、太陽エネルギーなどの代替エネルギーに変換していくべきだ」
 と述べられた。また化学兵器、生物兵器に比べ、核兵器は開発に広大な実験装置が必要で、現在のように地球を周回する衛星から監視できる時代では、施設の発見はたやすい。また放射性物質の管理も、IAEAの権限を強化をするなど国際管理体制を構築することで、徹底されやすいと話されていた。

 午後は2人の被爆者の体験を聞く機会を持った。具体的に家族、友人らを失くした悲しみや自身が被爆によって、長く苦しみを受けた話を直接被爆者から聞き、アメリカの学生たちは非常に衝撃を受けたと感想を述べている。

 被爆者の話を聞く来日した学生たち         
 その後、彼らが自分たちで折ってきた折鶴を「原爆の子の像」に捧げた。

 自分たちが折った千羽鶴を「原爆の子」の像に捧げた 

 翌日25日は、広島女学院大学に出かけ、同大学のクライン教授から日米の文化比較などの話を聞き、英文科の学生たちとランチを食べたり、交流のひとときを持った。

 そして27日に宮島を見学、28日に岩国の米軍基地訪問を経て長崎へと移動して行った。 

30名近い学生だったので、移動などに手間取るかもしれないと心配していたが、その懸念はすぐ払拭された。彼らは20歳前後の若者だったが、まじめで時間には決して遅れることなく、話を聞く時も誰も私語をすることもなかった。どのレクチャーでも熱心にノートを取り、質問も多く出た。

 Colgate大学では、今後もこのようなツアーを続けるということで、大いに楽しみにしている。