朴 南珠 Park Nam-joo

原爆は絶対にあってはならない

8. すべて失い、今が幸せ

夫はショックからお酒におぼれるようになりました。2002年にはくも膜下出血で倒れ、入院しました。症状が落ち着き退院後は家で介護することになりました。要介護5でした。ところが肺炎をおこし、再び入院しました。その後病院内でノロウイルスに感染し、2003年に神様の元に召されました。

夫が亡くなって以来、ずっと一人暮らしをしていますが、子供達がそれぞれの場で元気にやってくれていることは、私にとっては大きな喜びです。またしょっちゅう電話をかけてくれたり、遊びに来てくれたりと気遣ってくれます。

現在、私は町内会で万年組長として、団地のお世話をさせていただいたり、教会のバザーのためにキムチをたくさん漬けたりと、毎日忙しく暮らしています。近所の人たちもみなさん優しくしてくださいます。原爆に遭って以来、人生は波瀾万丈でした。すべてを失ったとはいえ、食べていくのに困ることはなく、今が一番幸せだと感謝しています。

2003年 左から長女、私、夫、長男の娘、長男
2010年 広島平和記念式典にて 潘基文国連総長と
被爆証言活動

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