13.常ちゃんはどこに

  授業がないので家に帰って遊んでいると、同級生が魚釣りに行こうと誘いに来た。「暑いので、パンツだけで行く。」というので、「シャツを着て行きなさい。」と着せてやったのが今生(こんじょう)の別れでした。

  川で被爆した際、背中が焼けたのでしょう、シャツの背が破れていたそうです。近所の人たちといっしょに安芸女学校(あきじょがっこう)の方に逃げて行く途中、はぐれて、1人で親をさがしていたようですけど、私は家の下敷きになって、助け出されたときは、左足首を骨折していました。歩けないのでさがしてやることもできず、心配していました。

  夕方、中学校に行っていた長男が無事で帰って来ましたので、妹と、「常ちゃん、常ちゃん。」と大きな声で呼びながらさがしましたけど、何の返事もありませんでした。あとで聞いたことですが、打越町(うちこしちょう)で弱って倒れているのを、ご親切な方が住所と氏名を聞いて介抱してくださいましたそうですが、翌朝4時ごろ、息を引き取ったそうです。

  合掌(がっしょう)

大西キヨコ(広島市横川町) 記

被爆死
大西常義 (三篠国民学校4年生)