26.忘れられない“恒ちゃん”

  “恒ちゃん”・・・かあちゃんの一生忘れられない名まえです。いつかいつか、「かあちゃん」といって帰ってきてくれる日があるかと、何十年も待ちました。でも、やっぱり帰ってはきませんでした。

  昭和20年8月6日の暑い朝、あなたは元気で神崎(かんざき)国民学校へ行きましたね。でもすぐもどってきて、「かあちゃん、ぼく、防空頭巾(ぼうくうずきん)を忘れた。」といって取りに帰りましたね。あのときが親子の最後になるとは、神ならぬ身、思いもしませんでした。

  国民学校2年生で8歳の小さいあなたには、戦争とは惨酷(ざんこく)なものでしたね。勝つまではがんばりましょう、「ほしがりません、勝つまでは」と、小さいあなたには、何もかも不自由をとおりこした生活でしたね。おとうさんは召集戦地に行き、家では、おじいちゃん、かあちゃん、妹のリツ子と4人で、戦争のきびしい生活をたえてきましたね。食べたいごはんもお米が少なく、もちろんお菓子など夢にもなかったですね。

  毎晩、警戒警報がなると、寝ているあなたを起こして、家内そろって近所の人と、舟入中町(ふないりなかまち)から己斐(こい)まで退避するために歩いて行きましたね。でも、小さいあなたは、毎晩のようにあるので、「ぼく、死んでもよいから家で寝ていたい。」といったことがありましたね。かわいそうに、戦時下の子どもは、今の子どもさんにはわからない、つらい生活でしたね。

  昭和16年10月4日、お父ちゃんに召集令状がきて、西部二部隊に入隊して、11月14日どこに行くのかわからないまま、おとうちゃんは宇品(うじな)を出発しました。それから12月8日、大東亜戦争(だいとうあせんそう)にはいり、長い長い戦争になりました。小さいあなたには、食べるものも少ない、何もかも耐乏(たいぼう)の生活になりましたね。かあちゃんも、おじいちゃん、恒ちゃん、リツ子ちゃんをかかえ、必死で生きました。どんなことがあっても、勝つまではがんばらなくてはと。でも、とうとう日本は負けてしまいました。世界で初めての原爆を広島におとされて、罪もないたくさんの人々が、もがき、苦しみ、死んでいきました。

  あの日、恒ちゃんが防空頭巾を取りに帰ったすぐあと、あのおそろしい原爆が落ちました。かあちゃんは、ちょうどその時、隣の奥さんと赤ちゃんとリツ子と4人で、道路で話をしていました。ピカッとを感じて、びっくりして家にはいると、すぐ家がくずれてしまいました。家の下敷きになり、困っていましたが、よいあんばいに隣の奥さんが首だけ出ていましたので、避難(ひなん)してくる人に助けを求め、親切な人に助け出されました。リツ子は道路で泣いていましたが、よいあんばいに、けがひとつしないでいました。

  ちょうど、かあちゃんが助け出されたとき、近所に住んでいた里のおばあちゃんが、血まみれになって助け出されたところでした。それでかあちゃんは、血まみれのおばあちゃんをつれ、リツ子をつれてにげました。おじいちゃんが家の中にいたのですが、もうどうすることもできませんでした。かわいそうにおじいちゃんが、家の下敷きになったまま、死んでしまわれたのです。

  道路を見ると、たくさんの人々が、哀れなすがたになって、本当にこの世の生き地獄でした。あの光景は、原爆にあった人でなければわからない惨酷(ざんこく)なものでした。

  江波(えば)にむけて逃げる途中、近所の子どもさんが、「おばちゃん、恒ちゃんは、ばくだんが落ちて学校がくずれたとき、下敷きになって死んだよ。」と教えてくださいました。かあちゃんは、すぐ学校に行って、たしかめたかったのですが、けが人をつれているので、涙をのんで逃げました。でもやっと、舟入川口町(ふないりかわぐちょう)のお寺に避難場所を求めましたので、あの暑い焼けあとをはだしのままで、夢中になって歩き、神埼国民学校に行ってみました。でも、もうだめでした。神崎国民学校は、きれいに焼けていました。

  恒ちゃん、ごめんね。かわいいあなたをおいて逃げてしまったかあちゃんを、許してね。かあちゃんも、右足にヤケドをしているので、昼は気がはっていたのですが、夜になるとヤケドがいたくなり、歩くことも、からだをうごかすことも、できなくなりました。

  でもかあちゃんは元気になり、昭和46年8月6日をむかえさしてもらう身になりました。でも原爆をうけているからか、年もとるし、あまり元気がありません。

  ことし思いがけず、「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の建立(こんりゅう)のことが新聞に出ていましたので、さっそくお願いにあがって、恒ちゃんも、みなさんといっしょに過去帳(かこちょう)におさめさしてもらいました。

  恒ちゃん。死んで26年目に、やっと先生や友だちといっしょになれましたね。安らかにねむってくださいね。

  戦争はいやです。尊い人命をあっというまにうばい去る戦争は、やめてください。世界中を平和にしたいものです。

  かわいい、かわいい、恒ちゃん。死体もわからないまま死んでしまった恒ちゃん。何年たっても、かあさんの胸の中から消えることのない名まえです。

村上 悦子 (広島市江波栄町) 記

被爆死
村上 恒雄(神崎国民学校2年生)