30.涙で書けません
忘れられない原爆の悪夢。私も、父母と弟妹の4人を亡くしました。原爆遺族にたいしては、とにかくそっとしていてもらいたい、ただそれだけです。
当時、私は上の妹とともに祖母の所に疎開していました。下の妹ミツエと弟は、父母とともに市内の空鞘町(そらざやちょう)におりました。
妹は、本川国民学校に通学していて被爆しました。2年生でした。当時は、空鞘神社が学校がわりに使用されていたようです。そこで被爆しました。家から神社が近いため、母がみつけ出して、川ばたまでつれだしたそうです。
弟は幼児で、8月6日には、とうとうみつけだすことができずにいましたが、8日の夕方、近所の人の背に負われ、空鞘町被災者の集合場所に定められていた川内(かわうち)村につれてきてもらったそうです。
ここまで書くと、涙になり書けません・・・。私も遺族会に入れてもらい、妹のミツエも過去帳に記入してもらえばと思い、ペンをとりました。お願い致します。
木下 一 (山県郡戸河内町) 記
- 被爆死
- 木下 ミズエ (本川国民学校2年生)