2012年01月27日

52 アメリカ編4-17

ニューヨークで叫ぶ「ノーモア・ヒバクシャ」

例年、広島市は8月6日は平和記念公園の中央にある原爆慰霊碑の前で平和祈念式典を挙行している。「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」と刻まれてある石室の中には被爆死者の名簿が納めてある。1952年11月、極東軍事裁判の弁護人であったインドのラダビノード・パール博士が「原爆を落としたのは日本人ではない。アメリカ人の手は、まだ清められていない」と発言し、碑文解釈の見解論争が起こったのだが、「ヒロシマを繰返すなという悲願は人類普遍のものであり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」と、一般的に考えられている。
 しかし、平和祈念式典を氏名が判明しない死没者が不在のままで挙行していいものかと、数年前から私の疑念がつのっていた。
 05年春、世界平和ミッションの仲間としてニューヨークで被爆者の笹森恵子(ささもりしげこ)さんに出会ったのを好機とばかり、話題にすると「私はアメリカに住んでいるから広島のことには疎いのよ、貴方の意見に賛成よ。被爆者が生きている間に、何とかしなくちゃね」と言って下さった。
5月1日は日曜日。晴れ渡った空、やや冷たい風が肌を刺激するのが心地よい。国連ビル辺りからセントラルパークまで平和行進をするのだが、老齢者は危ないからと、笹森さんと私はラリーの仲間から外された。午後1時を目安に、先回りしてセントラルパーク附近で待っていたが、気がはやるのでコースを逆に進んでいくとカーネギーホールの前に出た。と、向うの方からシュプレヒコールが聞こえ、人々の群れが見えた。最前列は反戦・反核をうたった横断幕を手にした広島市長と長崎市長、被爆者団体の代表たちだった。旧知の人たちの顔が次々に現れたので手を振って挨拶を交わした。報道陣が盛んに撮影している。出迎えた私はちゃっかり最前列に入り込んだ。ヘリコプターが上空を旋回して取材していた。ラリーは公園内になだれ込んで特設ステージの前に我先にと居並んだ。壇上で広島市長・長崎市長・被爆者代表のコメントが述べられた。次いで、私たち被爆者も壇上に駆け上がって、こぶしを天に突き上げて「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ。ノーモア・ヒバクシャ。ノーモア・ウォー」と何度も叫んだ。
 ステージから降りて報道陣に囲まれておられた秋葉市長に声をかけたのは笹森さんだった。「秋葉さん。しばらくでした。この人の話を聞いて上げて」と、私を市長の前に立たせて下さった。とっさのことで慌てたが、「原爆慰霊碑に納めてある犠牲者名簿の中に、氏名の判明しない死者という1行を加えてください」と訴えた。市長は、手帳を取り出してメモをして下さった。成就する予感が胸につきあげた。
 帰国後、娘一家が「セントラルパークで、元気にやっていたね。ニュースで観たよ」と、言った。 

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セントラルパークへの行進(中国新聞提供)

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