2012年01月27日

51 アメリカ編4-16

イラクより帰還したアメリカ傭兵

 05年4月30日、ニューヨークの片隅、廃屋になった劇場跡に設けられた集会所で、イラクから帰還した兵士たちの体験談が聞かれるというので参加した。会はとっくに始まっていて、支援者たちの手づくりの料理や飲み物が机の上に散乱していた。別室に通された私たちは会場から漏れてくる騒がしい音楽を感じながら、彼らの言葉を聞き漏らすまいと神経を集中させた。
☆ ジェラルド・マシュー氏は03年9月から5ヶ月間、アメリカ軍下請け業者の運転手としてクウェートとイラクの間をピストン運転したそうである。積荷は毀れた戦車の一部と思われる破片だったそうだ。暑いからシャツを脱ぎ、素手でマスクなしで作業した。間もなく物が二重にも三重に見えるようになった。砂嵐に襲われても車中や砂地に寝ていた。朝方になると顔面に浮腫を感じるようになった。クウェートの病院で「水不足」と診断されて水をガブガブ飲んだ。ドイツで受診、さらにワシントンDCでも検査を受けた。「君は、一番汚染度が高い」と投薬を受けたが効かなかった。尿検査は5ヶ月経っても結果が出ないので請求したら「サンプルが行方不明になった」と返答された。つくづく軍隊が嫌になって昔の制服を捨てた。04年3月、妻が妊娠した。検査したら胎児の右手に指が1本しかないのが分かった。劣化ウラン弾について事前に注意を受けていなかったために、このようなめにあった。今、指1本しかない娘と一緒に軍当局を訴えているそうだ。
☆ アンソニー・フィリップ氏はMPとしてイラクのサマワに駐留した。そして、頭痛、発疹、足のむくみなどの症状を呈したそうである。軍関係の病院では「何もない」と診断を下されたが、テスト機器が旧式なので正確な数値が出ないのは明らかである。帰還にあたって軍の上官から輸血用の血は10年間提供するな、子どもを3年間は持たないようにと注意された。軍当局も政府も、劣化ウラン弾は安全だと言い張っている。正確な位置関係は分からないが、「サマワはひどい」と言った彼の一言は重く私の心を捉えた。
☆ 名前を失念したもう1人の元兵士は、前述の2人と違うことが1点だけあった。「アメリカはイラクに平和をもたらした。使命を果たしたのだから自分たちの身の上に多少のことが起こっても仕方ない。事前にマスクや手袋の使用を勧めてくれなかったことが悔しい」と言った。
★ 05年11月。市民団体の招きでマシューM氏夫妻が来日して広島・大阪・東京で講演された。残念ながら、私は彼らに再会する機会を逸した。しかし、アメリカ軍が押し隠していた劣化ウラン弾使用の事実と被害の実相が、彼らの意識改革によって、世間に暴かれていく行程を報道から知ることが出来た。
★ 06年9月、アメリカ軍当局が、劣化ウラン弾による症例について調査を始めていると新聞で知った。何事も後手であるのが悲しい。

51%20%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E8%A9%B1%E3%82%92%E8%81%9E%E3%81%8F.JPG

マシューさんの話を聞く

trackbacks

trackbackURL: