2011年10月07日

50 アメリカ編4-15

ニューヨークの日本人教師

 どの宗教もそうだが、聖典の解釈が異なると信仰のスタイルも多様化し、細分化する。キリスト教も例外でなく、ブッシュ大統領も自らを敬虔なクリスチャンと名乗り、彼の流儀によってイスラムを攻撃しているのである。
 キリスト教プロテスタントの一派であるクエーカーは、とみに真摯な信徒集団である。通常の教会には牧師が信徒や求道者を導くが、クエーカーは人の上に人を置かず、瞑想によって「内なる光」を見つめると同時に、権力に屈せず、絶対平和主義を貫いている。仏教の禅宗に似ていると言えば、その筋から反論されるだろうか。
 05年4月29日、私たち世界平和ミッションは、クエーカーが経営しているニューヨークのブルックリン高校を訪問した。
 まず、私たちが携えてきた被爆写真の展示の準備に取り掛かろうとしたら、教師陣が「生徒たちは敏感な年頃です。強い刺激は困ります。悲惨な写真は展示しないで下さい」と言うのだ。私は、「何故、見せないのですか。目隠しをして、何を伝えようとしているのですか」と、教師陣の中にいた日本人教師に言った。彼女は「私も、事実を直視させたいのです。でも、この国のやり方は違うのです。若い人たちを辛いことから守ることが、重要なのです」と答えた。
 私は、「この国の戦争は兵士だけが戦います。アメリカ以外の国々では、幼児も女性も差別なく死んでいったのです。原爆は人を選ばず破滅させたのです」と言い放った。
 しかし、招聘した側の思う通りにプログラムは進んだ。私に許されたのは15分程度。これで生徒たちは「ヒロシマを理解した」と思うのだろう。それでもいいや、多くのアメリカ市民は、広島に原爆投下によって多くの人命を救ったと信じているのだから、クエーカーの人たちが聞いてくれただけでも、よしとするかと、気を取り直した。
 授業の最後に、広島県の山陽女学園が贈った千羽鶴を掲げて、満面の笑みを湛えて記念撮影をした。
 外部から持ち込んだ行事をこなすのは、おおむね学校ぐるみではなく、教師、取り巻きの人たちの配慮、生徒たちの要望によるのがアメリカ流である。このプログラムは、日本人教師・牧島ミエさんの熱意によって実現したそうである。私と問答したことを、しきりに恐縮する彼女に「アメリカでは、どこでも悲惨なものから目をそらすようですから、慣れっこですよ。クエーカーだからこそ、ヒロシマを語るチャンスを下さったのですね。ありがとう」と、素直に挨拶することが出来た。


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(ブルックリン高校)

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