2011年10月07日

49 アメリカ編4-14

アキバプロジェクト

そもそも、アメリカにおける第二次世界大戦の評価は「パールハーバーに始まり原爆投下に終わる」が定説である。原爆投下を正義と見なすアメリカは、ヒロシマ・ナガサキに謝罪するどころか、「多数の人命を救った」と虚言を弄しているばかりか、アメリカ市民に、それを定着させている。
 70年代、中国新聞社と広島国際文化財団は、アメリカのジャーナリストに原爆の実相、被爆後に起こった諸問題、全世界に起こっている核問題を理解させるためのプロジェクトを立ち上げる準備を始めた。現・広島市長秋葉忠利氏がマサチューセッツ州ボストン近郊にあるタフツ大学で教鞭をとって居られた。氏の並々ならぬ尽力によってヒロシマ・ナガサキへの招聘がスタートしたのが1979年だった。この事業は「アキバプロジェクト」と名付けられて10年続いた。総計40人のジャーナリストを招聘し、学習させた成果として、現在のアメリカの正義を問いただす力になっている。
 世界平和ミッションに途中から参加した私を、オハイオ州コロンバスの空港に出迎えて下さったのが、オービリン大学教授のダイアナ・ルースさんだった。80年、アキバプロジェクトの1員として広島の地を踏んだとの事。04年8月、高校生の息子ケビンさんと、再度のヒロシマ体験をしたそうだ。
 彼女は、ミッションの行程に合わせ、オハイオ州ウイルミントン、ワシントンDC、ウエストタウン高校、ニューヨークと、駆けつけて下さったばかりでなく、骨身を惜しまず名アドバイザーの役目を自らに課した人だった。5月1日、ニューヨーク、セントラルパークへの平和行進の先頭を歩いてくる秋葉市長に精一杯の声援を送っておられた姿は、私の脳裏から去らないだろう。
 著述界で活動されているグレッグ・ミッチェル氏もアキバプロジェクト出身ですと、誇りをもって自己紹介された。若い世代のために映画「チャイルド・ボム」を製作しました。その仕上がりには自信がありますよ・・・と、言われたとき、私は不思議な邂逅に驚きの声をあげた。私は、日本人スタッフから口説かれて声の出演をしていたからである。
 私は「今まで、いくつもの反戦とか核廃絶をテーマにしている映画製作に協力をしました。出来上がったら見せてくださいと、お願いしましたが、叶えられたことが無かったです。『チャイルド・ボム』は私が受け取った最初の作品です」と、感謝の辞を述べた。グレッグ氏は、私より何倍もの驚きを身体一杯に表現された。
 帰国後、氏の著書「アメリカの中のヒロシマ」(岩波書店)を紹介されたので購入した。噛み応えのある内容なので、少しずつ読んでいる。まだ、下巻もあるのだ。 


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(ダイアナさんとセントラルパークにて)

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