2011年10月07日

48 アメリカ編4-13

四葉のクローバー

 05年4月28日、教育者ですと自己紹介された中年の男性に伴われて3年振りのグランドゼロに立った。すっかり整地された跡地は、建設に余念のないのが異様である。彼の後ろを追いていくと大きなビルの受付に出た。厳重なセキュリティーチェックを受けて内部に入ると、9・11犠牲者の祈念堂だった。写真、手帳、衣服、装飾品、ネクタイ、指輪。家族や友人からのメッセージ、詩、絵、手紙。豪華な造花は枯れないようにとの配慮であろう。そして、数々のアメリカ国旗。日本人犠牲者の写真や弔辞もある。床に座りこんだ母と幼児が遺影に向かって話しかけている。あそこにも、こちらにも。どこへ視線を投じても悲しみがこみ上げてくる。
 でも、と私は思う。被爆後の広島には、癒しの場面が無かった。ヒロシマ・ナガサキの死者たちは1片の写真も残せなかった。こんな立派な祈念堂で、死者を偲ぶことすら出来なかった、と。
 祈念堂を辞して9・11犠牲者の遺族会、ピースフル・トゥモロウズの事務所に案内された。好戦的なブッシュ政権に抵抗して報復を止めるように進言しているこの団体は、今や、世界中の平和運動家の耳目を集めるまでに大きくなっていた。
 遅れて部屋に入って来たコーリン・ケリーさんが、私の正面の席に着かれた。「は~い。ケイコ」彼女が驚きの声をあげた。私は立ち上がって「お土産があるの」と、彼女の手を取って、ノーフォークで摘んだ四葉のクローバーを包んだティシュペーパーを差し出した。それを見た彼女は「ワッ~」と、手を口にあてて泣き出した。周囲の人たちは、その騒ぎに驚いて、ケリーさんと私を見つめた。
 3年前、彼らとの対話集会がニューヨークの仏教寺院で開かれたとき、私は「ヒロシマは、原爆投下のあと、75年は草木も生えないと言われたのです。でも、4年後に進学した女子中学校の校庭に四つ葉のクローバーが沢山生えたので、大喜びで讃美歌や聖書に挟みました。4つの葉は、希望、信仰、愛情、幸のシンボルだと言われています。私は、不幸な目にあったヒロシマだから、神様が幸せを運んでくださったと信じました。しかし、それが放射能に因るものだと知ったとき、落胆しました。世界貿易センターの跡地には四つ葉のクローバーは生えないでしょう。9・11事件で核兵器が使われなかったことを喜んでください」と発言した。
 私が話終えたとき、ケリーさんが私を部屋の隅に呼んで「ほら、見て」と、スカートの裾を引き上げた。太腿に四つ葉のクローバーの刺青があった。「9・11で亡くなった兄がしていたのよ。だから、私も同じ図柄に刺青をしたの」と涙ぐんだ。
 今回のケリーさんは、私にウインクして「兄は、私が生きる道を示して呉れたのよ」と太腿を叩いて微笑んだ。


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(ケリーさんと再会)

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(四葉のクローバー)

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