2012年01月27日

55 アメリカ編4-20

中央アジア非核地帯

05年5月3日、国連アジア太平洋平和軍縮センター石栗勉(いしぐりつとむ)所長の紹介を得て、中央アジア非核地帯形成に尽力されているウズベキスタン代表を訪問した。国連ビルの一室に通された私たちに「初めての被爆国からの訪問を受けて感動的です。首都のタシュケントには日本からの訪問者が絶えないし、顔立ちもアジア系同士なので、親しみを持っています」と言われたので、不勉強を詫びたい気分。
 代表は穏やかな声で「ソ連が崩壊したころ、中央アジアは核にまみれていました。我々5カ国が非核地帯を形成するには国連のサポートがありました。特に石栗氏の助言によって、日本が各国間の交渉とか金銭的な支援をしてくださいました。それまで、我々の国は国際条約交渉が未経験でしたから、アイデアは他国から頂きました。外交の知識を積み重ね、条約の下書きを創るにあたって、次第に互いの国益の差とか、外交に関しての経験の違いなどが分かってきまして対応が大変でした。
 5カ国が足並みを揃えるためには同じ気持で目的達成することが重要ですから、コーヒータイムを持って議論をしましたよ」と感慨をこめて石栗氏と顔を見合わされた。
「カザフスタンは非核地帯形成に積極的です。核実験を460回もした所ということで、セミパラチンスクに5カ国の大統領が集って署名することに決まりました。先週、メキシコシティーで非核国が集りました。国連加入国の半分以上が中央アジアの非核を称え、支援してくれています。署名が実現したら歴史の1ページになることでしょう」と話された。
 私にも発言の機会が出来たので「私には市民レベルの発言しか出来ませんが、非核地帯を形成するには特に勇気・信念・実行力が必要です。近隣諸国も見習って非核地帯が広がっていくことを祈ります。ご成功を祈りますと共に、私たちに希望を与えてくださって感謝です」と述べた。
 恥ずかしい話だが、以前の私はウズベキスタン、キルギス、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタンの国名は知ってはいたが、地図上で正確に指さすことは無理であった。
 それらの国々が「中央アジア非核地帯」を実現するために、99年、00年に札幌で会議をしたことも、今回の旅で初めて知った。
 06年8月、小泉首相がカザフスタン、ウズベキスタンを訪問した。資源開発援助などを話し合ったとの情報が聞こえてきたが、非核地帯形成構築に関心を寄せたとは伝わってこない。
 9月9日、朝早く目が覚めたのでラジオをつけた。「中央アジア5カ国が非核地帯形成の調印をしました」と、NHKニュースが告げた。だが、テレビも新聞も、自民党次期総裁選びとか、酒酔い運転のことにスポットをあてている。


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カザフスタン国連委員

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