2012年01月27日

58 日本編1-1

ヒロシマを継承するとは

 04年11月28日の中国新聞に以下の記事が載った。「米国の原爆投下、日本の敗戦から間もなく六十年を迎える。被爆者たちは、あの体験を二度と繰り返してはならないと、世界平和と核兵器廃絶を訴えてきた。しかし地球を幾たびも死滅させるだけの核兵器が現に存在し続ける。一方、忌まわしい記憶を封印したまま暮らす被爆者がいかに多いかも、私たちは知っている。その被爆者に、老いが忍び寄る。私たちは『あの日』の体験をきちんと受け止めただろうか。被爆者の記憶を語り継いでいくことができるだろうか。原爆をその威力としてではなく、人間にもたらした悲惨さとして、将来に伝えられるだろうか。次代を担う若者たちが、半世紀ほどの年齢差を超えて被爆者に向き合う。その半生を聞く。被爆者が発する「未来への伝言」に耳を傾ける。そんな対話を、これから始める」
 この呼びかけに多数の若者が参加して、学習を重ねたそうである。
 05年6月25日、「未来への伝言」企画で学習した若者たちと「世界平和ミッション」で世界各地に派遣された面々は、一般市民の参加を得て対話集会を持った。
 多くの被爆者、年長者たちは欲深いもので、継承する若者たちの熱意が欠けていると発言した。若者を擁護する発言もあって、会場は熱気に包まれた。若者たちは満たされた生活の中からでは、戦争も核兵器も想像しにくいが、この企画で多くの被爆証言を聞いて学習したと発言した。
 私は観念的な発言が出るのに少なからず落胆して、「多数の証言を聞いたことが継承したと言えるのですか。ヒロシマが風化したと言われていますが、誰が風化させたのですか。被爆者は長年にわたって証言し続けました。被爆証言を聞いて平和実現のために働きますと誓った人は国内外に数えられないくらい居られます。その言葉を忘れたのでしょうか。流した涙は乾いたのですか。証言のコレクションをして継承したと錯覚しないでください」と討論に水を注した。
 大学院生という男性が「核兵器と言っても、日本に現実にあるわけでもないし、戦争が迫ってくるのでもないし、身の回りのできることからやるしかないです」と抗した。
 そうなると興奮するもので、私は「身の回りのことからやるということは、変わらないということです。今までより行動範囲を広げる、関心事を広げるという努力をしてこそ、未来への伝言が可能になるのです」と、進言した。
 老齢者から「そんなに若者を責めないでやって下さいよ、まぁ、この会場に足を運んだだけでも、ここに来た若者を褒めて上げましょうよ」と、なだめられた。
 私は過激なんだろうか。

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若者たちの広島学習

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