2012年01月27日

57 アメリカ編4-22

エリートたちにとって平和とは


 05年5月5日、ボストンのハーバード大学ジョン・F・ケネディー校を訪問した。この学問の府は大学院から更に上級の学問をするために設立された超エリート校とのことである。学生900人、80カ国の学生を擁する。実社会から派遣されている学生が大半を占めているそうである。
 実は、前夜から、私の心臓は張り裂けんばかりの動悸を打っていた。その日のプレゼンテーションは何度も原爆の熱傷によるケロイド手術を繰返した笹森恵子(ささもりしげこ)さんと同席することになっていたからである。私は被爆時に奇跡的に無傷であったことが他の被爆者に対する負い目になっている。だからこそ、被爆証言をする際に、ケロイドで苦しんだ被爆者のことを述べることにしている。
 打ち合わせはハーバード大に隣接したホテルで行われた。かなり緊張した空気を感じたが、スタッフの中に日本人学生の姿がかなりあったし、広島出身の学生も数名いたので、心頼みして臨んだ。
 教授陣や学生たちの発言は最初から活発だった。どの意見も「核兵器をすぐに廃止するのは難しい。60年の積み重ねの中には良いことも悪いこともあった。成功したこともあったのを理解して欲しい」という意見に集約されるものだった。
 「良いこと、成功」とは、今やアメリカの定説になっている広島・長崎の原爆投下によって戦争を早期に終結させたという誇りとか核保有による抑止力であろうし、「悪いこと」とは、広島・長崎の原爆投下を国際世論が許さないことであろう。核開発の道程における隠れた被曝、核開発に要する莫大な経費、核兵器保管に関する経費等々もあげていいだろう。
 「50年代、60年代は核が広がり恐怖も広がった。しかし、JFKの精鋭がそれを抑えたのだ。現時点では核保有国は一桁に留まっている。放置していたなら核保有国はもっと多いに違いない」と発言する教授がいた。大方の学生たちが頷いていたのが空恐ろしい。
 私は「被爆後12年目に開設された原爆病院で働きました。熱傷や外傷による障害とか放射能後遺症があったので、定職に付くこともままならない患者さんが多かったです。被爆後、初めて医者に診て貰った人が多かったのです。核被害の悲惨さを見てきた私には核抑止論は空しいです」と発言した。
 笹森さんはケロイドの手を振り上げて「アメリカが核大国であることは事実です。今、私はロサンゼルスに住んでいます。私が納めた税金が核兵器のために遣われていることは許せません。アメリカこそ核廃絶に向かわなくては、他の国が核兵器を持つことを止めることは出来ないのです」と言われた。
 ホテルの窓からレッドソックスのスタジアムが見えた。私たちがニューヨークに去った日の試合にはイチロー選手が出るということだった。入れ違いになるとは実に残念。


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ジョン・F・ケネディ校にて

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