2009年09月11日

12 イギリス編

一人一人に語る

 草の根訪英団の目的は「相互理解と交流」だから、反戦・核廃絶などを主張するのは表向きには遠慮すべきなのだろう。だが、ケイコ・ホームズさんは、イギリスの人たちが旧日本軍から虐待を受けたという被害者意識を赦しへと変化させて、世界平和への道をお互いに探る方向に持っていくことに心を砕いて居られた。

大勢のメンバーの中で、特別に私だけがケイコさんと話をすることも容易ではなかった。私はヒロシマを伝えに来たのにと、焦っていた。 

 真意を伝えるチャンスは意外なところから訪れた。在英日本大使館でパーティーがある日、ケイコさんから着物の着付けをして欲しいと声をかけられた。急ぎ、彼女の部屋に行った。

私は、ヒロシマを伝える機会がないなら、来た甲斐がないとまで言った。でも、英訳した私の被爆体験記をプリントして持って来ているから、せめて、イギリス人に配りたいとも言った。

 ケイコさんが私以上に焦って居られたのを、その時に知った。

 私の名がケイコ・ホームズさんと同じなので、イギリスの人たちは私の名をすぐに覚えて「アナダー・ケイコ」と、呼んでくださった。さらに、私が被爆者ということが次第に知れ渡った。

 日ごとに「アナダー・ケイコ」と呼びかけられて「ヒロシマで原爆に遇ったそうね、もし、よろしかったら、お話を聞かせてください」と言ってくれる人が増えていった。大勢の前で被爆体験を語ることを予期していたのは妄想で、一人一人に語ることも重要なことと考えを変えると、被爆体験紀のプリントを常時持ち歩くことにした。

 食事の後で、ティータイムで、バス旅行の車中で、公園の散歩中でも話すチャンスが何度もあった。

 帰国後、「貴方の被爆体験記を読みました。イギリスは原爆を投下した連合軍の一員だった。戦争をした者は罪人です」とか、「広島や長崎の人たちの苦しみは、捕虜の受けた苦しみより悲惨だったことを知りました。和解したうえで、残る人生を平安に過ごしたい」と、何通もの手紙を受けとった。

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(ケイコさんとイギリス大使館へ)


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