2009年09月11日

13 イギリス編

「元・日本軍捕虜」からの便り

 訪英から戻って1ヶ月くらい経ったころ、イギリスから手紙が来た。そこには「私は、日本軍の捕虜となってタイで過酷な労働をさせられました。戦争の末期には福岡の捕虜収容所にいました。広島が爆撃された直後、焼け跡の片付けのために広島で働きました。見渡すかぎりガレキで、人々は傷ついていました。言葉にならないほどひどいものでした。数日後に日本が戦争に負けたので、私たちは、過酷な労働から解放されました。しかし、アメリカ軍の指令で強制的に沖縄に行かされて、レントゲン検査、血液検査、便と尿の検査を受けました。精密な検査でしたが、広島に投下されたのが原子爆弾とは知らせてくれませんでした。1年後、イギリスに帰還して、原爆のことを知りましたが、身体に異常がなかったので、いつの間にか忘れていました。あなたの被爆体験記を読みました。私も、被爆者なのですね。これから何年生きているか神様だけがご存知ですが、平和に平凡に生きていたいです」と書いてあった。

 イギリスでは大勢の人に出会ったので、その人が、どんな人だったか、私は知るよしもなかった。

 ケイコ・ホームズさんに問い合わせると「私が初めて会った頃、彼は、堅い殻に閉じこもっていたけれど、このごろは、冗談が言えるようになったのよ、ほら、日本語で号令をかけていた人よ」と言われた。
 そう言えば「私は日本語が話せます。聞いてください」と言ったとたん、両手をしっかり脇腹に付けて「キオツケェー…バンゴウ、イチ、ニッ、サン、シッ、ゴ…イソゲ、ハヤク、ダメダメ…」と言いながら、目から涙が溢れるのに耐えていた人を思い出した。

 「加害者は鈍感。被害者は敏感」という言葉が脳裏をかすめる。
 あれ以来、旧日本軍の捕虜だった元イギリス兵や家族や遺族の方々がヒロシマ訪問をされる度に、広島の若い世代の人たちに引き合わせるようにしている。彼らはブラスバンドやハンドベルでイギリスの民謡を演奏して訪日団を迎えることもある。このごろは、日本の若い世代も歴史を直視する気運が湧いてきたようだ。

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(バッキンガム宮殿広場)

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(元イギリス兵捕虜の体験を聞く 広島女学院)


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