2009年09月12日

14 イギリス編

日・英・兵士たちの戦後

 シベリアに抑留された1人の元日本兵に思いを馳せるときがある。彼が広島に帰還したとき、弟はすでに被爆死、焦土となった町で彼は、熱傷や放射能後遺症で苦しんでいる人たちに出会った。目をそむけることも、凝視することも出来なかった。やがて、ヒロシマから核廃絶と反戦を訴えるしかないと決意された。世に子のない人はいるが、母のない人はいない。画家の彼は母と子の像をひたすら描かれた。優しさいっぱいの画面に核兵器廃絶の訴えが滲んでいる。彼がシベリアから秘かに持ち帰ったスケッチは、敗戦から50数年も経って出版された画集に収まっている。

 さて、元イギリス兵捕虜の癒しに奔走されているケイコ・ホームズさんが、我が家に滞在されることになった。

 私は隣近所の面々に集ってもらった。「エリザベスⅡ世女王から勲章を貰った人が、来られるんだって」と、物珍しそうな面持ちで集ってきた人たちへ、ケイコさんは「私はお金持ちでもないし、平凡な一市民です。特別視しないでください。互いに理解し、和解することでこそ平和が実現すると思いますから、運動をしているだけです」と語られた。

 その夜、私はケイコさん一人のために被爆体験を語った。以来、どちらが言い出すともなく、彼女の広島での平和活動は、私の仲間たちで支えるようになった。

 あれ以来、秋になると元イギリス兵捕虜たちがヒロシマを来訪される。原爆慰霊碑参拝後、まず、高校や市民集会で彼らの体験を聞く機会を持つようにした。その後に、資料館見学、碑めぐりをしてヒロシマを伝えることにした。その順序でプログラムを展開すると、彼らが癒されていく過程が見えてくるようになった。

 3年前、私は牛久市に移転したので、あの画家とはごぶさた続きだが大きな催しがある時は、広島YWCAが所有している彼の絵を借りて、それを眺めながら被爆証言をすることにしている。それは、私が彼へ捧げるささやかな癒しでもある。

 最近、彼が病床にあるとの噂が届いた。たしか80余歳になられた筈である。彼は癒しを得ることができたのだろうか。私は、シベリアで捕虜生活をした彼へ、癒しの言葉を捧げたいと、このごろ、しきりに思っている。

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(ケイコさんと八木の仲間)

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