2009年09月12日
15 インド・パキスタン編
ブッダの嘆き
1998年5月、インドとパキスタンが核実験を成功させた。
翌年春、現地を訪問した人達の報告会に参加した。その席上、両国の青少年を広島に招いて核被害の実相を学習させようと決まった。折しも、地球環境映画祭で受賞したドキュメント映画「ブッダの嘆き」のビデオテープを入手した。ブッダの生誕地の近く、ジャドゴダのウラン鉱で働いている人たちの被曝を実録したものである。
核実験が成功したとき、体制側が「ブッダがほほえんだ」と喜んだそうだが、映画製作者シュリプラカッシュ氏は「核に手を染めたことによってブッダが嘆いている」として、その題名を付けたという。
01年5月、実行委員に名乗りをあげたメンバー50余名は、各地で上映会を開いた。募金活動も始めた。インドとパキスタンの教育機関、報道機関にヒロシマ学習に派遣してもらう10名の選考を依頼したし、彼らが来広した際のステイ先を探した。何もかも手さぐりだったが、核兵器廃絶に向かって前進しているという連帯意識が知恵を引き出した。
報道関係の理解と協力も相当なものだったので市民の反応もよく、募金もかなりの額が集った。だが、多額の経費を要するので、片時も予断は許されなかった。
8月3日から始まった広島学習は、平和記念資料館、原爆慰霊碑、原爆供養塔、碑めぐり、放射能影響研究所の医師による講義、原爆病院へのお見舞い、原爆養護ホーム訪問、被爆者の証言を聞くなどと、盛りだくさんのプログラムが組まれていた。それらは核抑止の神話に囚われている彼らにとって、厳しいものだった。加えて、広島の蒸し暑さには悲鳴の連続のようだった。私たちもベジタリアンやイスラム教徒の人たちへの食事に腐心した。
8月6日、私は平和祈念式典に参列する彼らの引率をした。原爆投下の8時15分、平和の鐘を合図に黙祷。式典の後、報道陣のインタヴューに応える彼らは「核兵器は人類には不必要です」と異口同音に述べた。その言葉は、私たちの運動に大きな成果が出ていると感じた瞬間だった。
帰国後の彼らは、核有用論を是とする国情にあって、広島を伝えようとして動きだしたと、聞こえてきた。かなり苦労している様子も伝わってくる。
(インド・パキスタン、そして日本の青年たち)
- by HSO
- at 10:58