2009年09月12日

19  ドイツ編

ミッションの目的は

 エッセン(Essen)から車でニュルンベルグへ移動したのは2001年4月30日。

 森と森の間に小さな集落が見え隠れする単調な景色なので、運転手が眠気を催さないようにと、オペラ歌手・渡辺朝香さんのリードでシューベルトやモーツアルトの歌曲を歌った。途中、ケルン大聖堂を見物。広場で一休みしていると、日独交換留学生のアキさんが現れた。これから私たちに同行して通訳をして下さるそうだ。

 発車オーライ。私たちは再び歌い始めた。「赤とんぼ」も「平城山」も「この道」も「カラタチの花」も歌った。

 夕刻、ニュルンベルグの近郊・ノイエキルヘンに着いた。ステイ先は元修道院のドミトリー。ホステスのハネロー・マインシュミットさんの笑顔が私たちを待っていた。

 夕食後、翌日からのプログラムについて打ち合せになった。ハネローさんは、書道・茶道・生け花・日本の歌などと矢継ぎ早に注文をされたが、私にとってそれらは二の次だったから、我慢ならなくなった。通訳者のアキさんがいることも意を強くした。

「書道・茶道・生け花などを所望されるのは日本人として誇らしく思います。しかし、私は被爆者だから、ここに伺いました。ヒロシマを伝えることと核の諸問題について連帯を確認するのが、このミッションの目的です。大事なことから決めませんか」と一気に言った。

アキさんが必死に通訳しているのを聞きながら、私はハネローさんから目を放さなかった。ハネローさんも私の顔をきっと睨んだ。周囲の人たちが息をひそめて2人を交互に盗み見していた。しばらくして彼女は「そうね。本題に戻しましょう」と静かに言われた。

 ベッドルームに向かっている時、背後からハネローさんの声がした。振り向くと「ケイコ、私たち仲良しになれるね」と握手を求めて近寄って来られた。

 シャワーを使うとき、アキさんに「エッセンのハネローさんがコロンを上げると言われたけれどもらわなかった」と言ったら「プレゼントはケルン大聖堂の見物という意味なのよ。日本人はケルンと発音するけれど、ドイツではコロンと発音するのよ」と言われた。オーデコロンは、そもそもケルンからフランスに持ち帰った水で作ったのが由来だと、初めて知ったことだった。

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(マインシュミット夫妻)

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