2010年05月05日

22 スウェーデン編 2-1

ヒロシマは平和を選んだ

 広島市の我家の近くに住んで居られたキリスト教宣教師ヨーディスさんには彼女の母国スウェーデンからの来訪者が後を絶たなかった。教会関係、医学関係、教育関係、政治家が殆どだった。私はその都度、彼らのヒロシマ学習のお手伝いをした。時には日本料理を味わって貰ったし、着物、お点前、活花に触れるチャンスも作ってあげた。

 2001年3月、引退されたヨーディスさんが帰国された。半年後、私は彼女を訪ねようとしていた。彼女が「啓子が来ます」と、私が広島で出会った人たちに伝えられたので、多方面から被爆体験を語って欲しいと要請が相継いだ。プログラムはヨーディスさんによって周到に用意された。

 10月半ば、ストックホルムから文字通り東奔西走の旅が始まった。移動の度に、車窓から眺めたのは黄葉した森と鏡の面を思わせるような湖だった。どの湖にも白鳥の群がいた。まさにサンサーンスやチャイコフスキーが表現した世界であった。
  
 どの訪問先も、精一杯のジャガイモ料理が私を待ち受けていた。集って下さった人たちは、私の被爆体験とヒロシマから発信される平和への提言に耳を傾けて下さった。加えて、核時代に突入した現在の世界情勢に歯止めをする方法についての意見が続出した。

 どの集会でも「被爆者はアメリカを憎んでいますか」と訊かれた。「私個人もですが被爆者の大多数は憎しみを持っていません」と言えば「それは驚きです。通常兵器でなく、核兵器で悲惨な目にあったのに、何故、そんな気持になったのですか」と詰問された。私は「戦争をしたのも原爆を開発したのも人間です。核兵器によって壊滅状態になったヒロシマだからこそ、人類の冒した罪を繰返さないと誓ったのです」と答えた。どの会場でも例外なく、どよめきが起こった。

 聖書には「赦しなさい」と記されている。キリスト教信者の多いスウェーデンで、そんな質問が出ること事体、私には不思議だった。

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(子どもさんに千羽鶴をあげました)
 

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