2010年05月05日

26 アメリカ編 2-2

ワシントンDC

 ホワイトハウスが見える公園にはスペイン出身のピシオットさんが座り込みをしている。1960年代のアメリカに移住した彼女はアメリカの軍備増強、対外政策を憂慮してロビー活動をしたそうだが、「大統領への直訴」しか方法がないと、家財を整理し、核廃絶のメッセージを書いた立看板を掲げ、1981年から座り込みを開始したという。春夏秋冬、雨風をいとわず片時も休まないそうだから、反核運動家には象徴的存在である。

 公園内は規制がきびしく、トイレに立った留守に撤去されるかも知れないから、忍耐と工夫が必要だ。彼女に賛同する人たちが誰言うともなく彼女のサポートをしている。食事は店の売れ残り物とか支援者からの届け物だけだという。衣服は誰かのお下がりだろう。

 公園に着いて見渡すと、彼女の所在はすぐ分かった。私たちが報道陣に囲まれながら近付くと、彼女は両手を高くあげて私たちに抱きついてきた。

 座っている彼女の風よけにもなっている立看板には世界中から寄せられたメッセージが所狭ましと切り貼りがしてあった。ヒロシマ・ナガサキの写真やコメントも書き込まれていた。彼女の行動を伝え聞いた人たちが来ては去って行くので、彼女は絶えず忙しい。

 彼女に別れを告げた私たちがエネルギー省へ反核を訴えるデモ行進を開始した。反核の横断幕を掲げて行進する私たちの前を在米の日本山妙法寺の修行僧たちがウコンの布を纏い、太鼓を打ち鳴らして誘導して下さった。行列の見物人たちから「リメンバー・パールハーバー」「ジャップ・ゴーホーム」を何度聞かされたことか。しかし、私たちを激励して手を振ってくれる人もいた。

 エネルギー省は警護が堅くてとても近寄れない。遠巻きにして大声で反核を叫ぶしかないが、監視者が遠くから私たちの写真を撮っている様子だった。それでも、私たちは舗道の脇に陣取って、長時間の座り込みをした。

 次に訪れた2005年4月、ピシオットさんの姿は公園にはなかった。とても意志を曲げるような人ではなかったから、排除されたのだろう。NPT再検討会議の開会が目前で、国中がピリピリしている時期だもの。

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(ピシオットさん)

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