2011年10月07日

36 アメリカ編4-1

世界平和ミッション

 中国新聞社と広島国際文化財団の共催「世界平和ミッション」は、04年5月の南アフリカを皮切りに世界各地に派遣された。05年4月半ば、最終回のアメリカ班に急病人が出たので補欠要員としてオハイオ州コロンバスで合流して欲しいと要請された。戸惑っている時間が与えられない。娘に相談すると「アメリカこそ最大の核大国だからねぇ、身体具合さえいいなら、行く価値があるかもね」と言うので、決心がついた。
 4月15日、1人旅は嫌いじゃないけれど緊張感を覚えつつ成田を発って12時間。7年振りのシカゴのオヘア国際空港に着いた。9・11同時多発テロ事件以来、厳重なセキュリティーチェックをしていると知っていたが、指紋を採られ、写真を撮られ、出入国の書類も細部にわたって記入しなくてはならない。どうにか自力で乗り継いでコロンバスに着いた。
 ホテルで待つこと2日。やっと先発グループに合流したが、彼らはすでにチームワークが出来上がっていたから、私の入る込む余地がない。
 18日、クエーカー教徒が設立したウイルミントン大学に向かった。私は、98年9月、広島に本拠を持つワールドフレンドシップセンターから派遣されて訪れていたので、ミッションの初仕事としては気負いせずに臨めると思っていた。
 まず、訪問したのは大学に付設されているピースリソースセンターだった。そこには長身のジェームス・ボランド氏の姿があった。「やぁ、啓子じゃないか。驚いたよ」と、腰をかがめてハグして下さった。もっと驚いたのはミッションの面々だった。ジェームス氏が私の着物姿の写真を持ち出して来られた。一斉に皆の視線が集中した。その時、私は世界平和ミッションの一員になれたと感じた。
 このセンターは、ワールドフレンドシップセンターの設立に貢献されたバーバラ・レイノルズ女史によって75年に創設されたものである。ヒロシマ・ナガサキ文献を収集していて、対外的に資料の提供をしているので、大学人のみならず一般社会からも評価されている存在である。
 ちなみに、バーバラ女史は、64年、広島・長崎の被爆者、学者を伴って欧米を行脚され、被爆の実相を広く認識させる「世界平和巡礼」の祖となった人である。
 ダニエル・ディビアシオ学長からは、とても興味深い話を聞いた。クエーカー教徒の建物は入口が男性と女性が別々になっています。その理由は差別ではなく、女性が自由になるためであると。・・・と言うことは、男性が利己的存在であると認めているということなのだろうか。
 その夜、コロンバスのメノナイト教会で被爆証言をした。率先してお世話くださったのは女性群だった。


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ジェームス・ボランド氏と(中国新聞提供)

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ピースリソースセンターにて(中国新聞提供)

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