2011年10月07日

38 アメリカ編4-3

エノラ・ゲイ

05年4月21日、ワシントンDC郊外にあるスミソニアン航空宇宙博物館新館に行った。厳しいセキュリティーチェックを受けなくてはならないのに、館内は写真撮影が許されている。
 とてつもなく天井が高くて広い。アメリカが誇る各種の戦闘機がこれ見よがしに展示されている。
中でも広島に原爆投下した際に使用されたボーイング社製のB29攻撃機「エノラ・ゲイ」は他を圧する巨体である。1万メートルの超上空飛行が可能なので低性能の日本軍機から攻撃を受ける筈もない。銀白色の機体に太陽光を反射させ、目を射るように演出して敵を威嚇したそうだ。
 原爆投下を目撃した人たちが「キラリと光ったB29が落下傘のような物を落とした」と証言しているのを思い出す。
 被爆時、私は退避所の内部に居たので機体を見るのは初めてだった。ポール・ティベツ機長の母の名を付けたこの母胎が悪魔の子「リトルボーイ」(広島へ投下された原爆のあだ名)を孕んで広島上空に飛来し、原子爆弾を初産したのだと思ったとたん「ヒロシマの仇」との言葉が私の口からこぼれた。ちなみに長崎への攻撃機のあだ名はボックスカーであり、原爆のあだ名はファットマンである。
 エノラ・ゲイには簡単な説明文が掲げてあるが、原爆投下についての記述はない。次から次へと団体客が押し寄せて来た。誰もが「第二次世界大戦時、もっとも精鋭の戦闘機がB29 でした。このエノラ・ゲイの活躍で世界が平和になりました」と、ガイドの説明を聞いては感嘆の声を挙げ、尊敬の眼差しでエノラ・ゲイを見つめていた。見学者の群に近付くと「日本人が…」という顔つきの視線を浴びた。
 このミッションの旅で、私が先発メンバーと合流したのはオハイオ州の州都コロンバスだった。庁舎の庭には戦没兵士に捧げるモニュメントがずらりと並んでいた。敗戦を経験したことのないアメリカにも、自国のために命を捧げた人たちはおびただしい。
 数年前、ティベツ機長が第二次世界大戦時の英雄として、各地を遊説している様子がテレビドキュメントとして放送された。この街のどこかにティベツが住んでいる。街路樹のリンゴの花の白さが目にしみた。原爆投下後、エノラ・ゲイの搭乗員は、懺悔の人生か、英雄の人生かの選択肢があった。そして、ティベツ機長は英雄の道を選んだ・・・と言うより、アメリカの体制が彼を英雄に仕立てなくてはならなかったのだろう。博物館の売店で、最も売れるのはエノラ・ゲイのレプリカと、エノラ・ゲイの機体と共に撮影したティベツ直筆サイン入りの写真だそうだ。
 ティベツもまた、体制側の都合に翻弄された悲劇の人であると、私は少しばかり同情している。


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(エノラ ゲイ)

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