2011年10月07日

42 アメリカ編4-07

アメリカ的歴史認識

 ワシントンDC滞在中の05年4月23日夕刻、投宿しているホテルのレストランに原爆投下を正当とする歴史家サミエル・ウオーカー氏を迎えた。その2日前に氏を迎える予定だったのが意味不明で果たされなかったのも災いしてか、長身の彼が目の前に現れた瞬間から、私は尋常でない不快感に襲われた。
 席についた彼は、穏やかな口調で一言一句に念を押すように自身の歴史認識を話された。
「トルーマン大統領は、日本本土上陸をしないで戦争を早く確実にどう終結させるかを考えていた。原爆投下時、日本は降伏しようとしていなかったし、ソ連が侵攻していた。原爆投下をしなければ、もっと多くの死があっただろう。トルーマンは原爆投下について、悲惨なことを起こしたと驚いていた」
 中国新聞の岡田記者が「では、何故、長崎に」と、たたみかけるように訊ねた。
「原爆を2度と使うなとトルーマンが言ったのは長崎の後だった。彼は朝鮮戦争では使用しないようにと言った」と、平然として答え、さらに言葉を続けられた。
「日本が無条件降伏を決意するのには時間がかかり過ぎた。日本は武器を捨てるが天皇制を残すこと。戦犯を日本の裁判に任せろ。占領を短期間で終わらせろなどの条件を加えてきたのだ。結果は、天皇制を残すことだけになったけどね。天皇は広島に原爆投下されたことにより戦争終結を決意したと思うが、ソ連侵攻のあとだった。戦後50年経って、アメリカの各地で戦勝記念行事があったのさ。そのとき、『原爆投下が戦争終結を早め、双方の犠牲者を最低限におさめた』という認識がアメリカ市民の間に神話のように浸透していると、確認できたんだよ」
 岡田記者が「アメリカと日本との認識には深い溝を感じますが、それを埋めるには、どんな方法がありますか」と、訊ねると「方法は無いよ。溝を埋める必要もないね」と、軽くいなされた。
 彼の語る話は、今までに繰り返し聞かされたアメリカ側の論理であり、耳新しいことではない。だが、耳元で言われると特別な響きで迫ってくる。側で聞いていた私は血の気が引くような戦慄を覚えた。黙って引き下がりたくないので「貴方は、広島や長崎の被爆者に出会ったことがありますか。または、被爆に関する記述や写真に接したことがありますか」と訊ねた。
「知らないね。貴方が初めてだよ」と、あっさりと言い放った彼は、一緒に飲み物でもと誘う私たちを振り切るようにして去って行かれた。
 その時から私の胃はキリキリと痛み、水さえも咽喉を通らなくなってしまった。ミッションの仲間たちの心づくしで果物とホットドッグ、そして飲み物が部屋に届いた。だが、深夜になっても食欲は起こらなかった。

42%E3%80%80%E9%80%A3%E9%82%A6%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E5%A0%82%EF%BC%88%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3DC%29.JPG
連邦議会議事堂(ワシントンDC)

trackbacks

trackbackURL: