2011年10月07日

44 アメリカ編4-09

ヒロシマを学ぶ高校生

 ワシントンDCから列車で1時間半、ウイルミントン駅頭に出迎えてくれたのは日本人の山口氏だった。そこからフィラデルフィアのウエストタウンまで猛スピードで1時間以上もかかった。訪問先のウエストタウン高校は不戦を主張してはばからぬクエーカー教徒の経営する精鋭校とのことである。広大な敷地には牧場や農場もあって、自然の中に生かされていることを実感させられる。細かい心遣いをして下さる山口氏を教員だと思っていたが、実は生徒さんの父親であった。この学校の積極的な平和教育に共感して子息を入学させたそうである。
 05年4月26日の朝、鳥たちの声で目が覚めた。
 午前の学習会はクエーカー教徒の慣わしであるメディテーションから始まった。声を出して祈るよりも自己の内面に語りかけるのを重視する信仰の証である。
 授業の最初は映画が上映された。それは被爆当時の広島市街の様子、被爆者の様子、核兵器の脅威など、記録映画を編集して被爆の実相を如実に物語るものであった。次いで私が被爆体験を語った。生徒たちは私たちの訪問に先立って、事前学習を積み重ねたそうで「核兵器使用を止めるには、どうすればいいですか」「核兵器を広げないためには、どうしたらいいですか」「核技術の輸出入をしている国同士があるのは、どうしたらいいですか」と、堰を切ったように質問を発した。
 中国新聞の岡田記者が「核兵器廃絶以外に核被害を防ぐ方法はない。核がある限りテロがウランを使用する可能性もあるだろう。NPT(核兵器不拡散条約)を確立し、国際的安全を図るべきです。問題のある国々が互いの緊張を取り除くのが当面の課題です。世界は力でなく、信頼関係で解決するしか道はないと思う。そのためには市民の交流が大切なので、そのレベルの運動が必要です」と答えた。
「アメリカの原爆投下は正当であったという考えについて、どう思いますか」と質問が出た。それには、私が以下のような回答をした。「1945年初頭から、日本は東京・横浜・神戸などの主要都市は爆撃され、沖縄はアメリカの大艦隊が上陸、日本人は自ら命を絶つとか、アメリカ兵に殺されるか捕虜になって、悲惨な状態になっていました。降伏は目前でした。7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードで原爆実験の成功を確認したトルーマン大統領は、急いで広島に原爆投下させました。私は、原爆投下は間違いであり、広島は実験台にされたと思っています」と答えた。
 その午後、11年生(日本の高校2年生と同じ)に加え、社会人の参加を得てシンポジュームを持った。その模様は、次回に紹介させていただく。

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(高校生との対話)

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