2011年10月07日

45 アメリカ編4-10

歴史から学び、未来を拓く

 フィラデルフィアのウエストタウン高校は、不戦を主張してはばからぬクエーカー教徒の経営する精鋭校である。
 05年4月26日の午後、11年生(日本の高校2年生)と社会人と合同の研修会が催された。例のごとく、私は被爆体験を語った。つと立ち上がった女生徒が「被爆したあなたは、どう乗り越えたのですか」と、私の顔をじっと見た。
 私は答えた。「1946年元旦、天皇が人間宣言をしました。47年5月、日本国憲法が執行されて、国民は等しく人権を得ました。アメリカから持ち込まれた民主主義思想によって堂々と社会参加が出来るようになったことは、低い立場にあった女性は喜びと希望を得ました。敗戦から4年後、私が入学したキリスト教主義の女子中学校には、アメリカから来られた宣教師が英語の先生をされていました。放課後、宣教師たちは原爆孤児や被爆者の癒しのために働かれました。私たち生徒は、毛糸で10センチ角のピースを編んで、それらを繋げて肩掛けや膝掛けにするようにと指導されました。クリスマスが近くなったころ、それらを被爆者たちに届けてボランティアの手本を示して下さいました。私の個人的な体験を申しますと・・・ある日、私が宿題をして来なかった理由を宣教師の先生に問いただされました。私は母が被爆のために寝たきりであると言い訳をしました。その後その先生は、出会う度に母の容態を訊ねてくださいました。原爆投下したアメリカは許しがたいけれど、こうした民間レベルの謝罪と善意を受けることによって、私は癒されていきました」。緊張した面持ちで聞き入っていた人たちから安堵の吐息が伝わってきた。
 間髪を入れず「9・11以来、私たちはナーバスになっています。それを分かって下さいますか」と、訴える発言があった。私は「9・11の半年後にグランドゼロに参りました。世界貿易センターの周囲には惨劇の痕跡がありましたが、ニューヨークは元気でした。なぜ、核兵器で壊滅状態になったヒロシマ・ナガサキと同じに受け取らねばならないのでしょうか。アメリカは被害者だという意識を定着させないで、あの事件が起こった原因を考えて欲しい。必ず、そこに至るまでには原因があったのです」と答えた。一瞬、会場がざわめいたが、私は自分の思いを曲げる気は毛頭なかった。
 その翌朝、教師の研修会に参加した。終了後、私が教室を出て行こうとすると、女性教師に呼びとめられた。「あなたに9・11事件について反省をと言われて、私は怒りました。一晩かかかって悩みました。私たちは反省を忘れていました。これからは、深く真相を探る努力をします。ありがとう」と言われた。


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(ウエストタウン高校から千羽鶴を託される)

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