2011年10月07日

46 アメリカ編4-11

ヒロシマを表現する芸術家たち

05年4月27日から5月8日まで、ニューヨーク滞在中は広島市出身の造形作家・砂入博史(すないりひろし)氏が通訳をして下さった。互いに自己紹介をして、彼の生家が私の実家と同じ町であるのが分かった。世代の違いがあるとはいえ、共有できる話題に事欠かないのが嬉しかった。
 29日午後、砂入氏が教鞭をとって居られるニューヨーク大学アート科を訪問した。キャンパスというより工場と言いたいような雰囲気である。廊下といわず教室といわず、例えようのない臭いと金属の触れ合う異様な物音が充満していた。学生たちが真剣な面持ちで粘土、ペンキ、石膏、木材、金属類、紙、布などに命を吹き込もうとしてリズミカルに身体を動かしていた。何でも7月末から広島市の被爆建物である旧日本銀行で「平和展」をするための作品作りだと言う。ミケランジェロやロダンの造形物を見慣れている私には、彼らの指先から繰り出されていく物体が何を表現しているのか分からない。
 通された教室は天井がやけに高くて殺風景だった。十数人の学生たちは教室に入ってくるや、片隅にある階段に固まって座った。破れたジーンズ、絵の具は言うにおよばず、粘土や金属の錆にまみれたTシャツや上着、それにチューインガムを噛み続けの彼らの前に立つと、今まで味わったことのない緊張を覚えた。それは、彼らの関心をヒロシマに集中させずにはおかないという意地のような思いが、私の胸中にこみ上げてきたからであった。
 私たちのプレゼンテーションを聞き終わった後、彼らは20センチ角の白い紙で鶴を折り始めた。私たちも仲間入りしたのでガランとした教室に熱気が渦巻いた。しかし、彼らは寡黙だった。心の奥底を伝えるには造形による手段をとる彼らだからと理解するしかない。
 8月18日、広島での再会を彼らと約していた私は2人のスウェーデン青年を伴って広島現代美術館で個展をしている砂入氏を訪ねた。彼の作品は、足首が切り取られた象が横たわっている造形物。彼の説明によれば、象は過去にあった事柄を忘れない動物であると言う。この作品は「ヒロシマを忘れてはならない」というメッセージだそうだ。表現方法については説明を聞かなくては分からない私だが、青年たちは興味深く、しきりに砂入氏に質問をしていた。
 続いて旧日本銀行の「平和展」を訪ねた。そこにはニューヨーク大学の学生達が運んできた作品群があった。私たちも手伝った折鶴が舞っていた。やはり、私には理解不能だが、残酷なことを繰返すなというメッセージが伝わってくるような気がした。学生たちは会場を訪れてくれた人たちから懸命にヒロシマを学んでいると言っていた。


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(ニューヨーク大にて)

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(旧日銀のエキジビション)

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(象の足音)

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