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本編-第2編-

26. 戸坂供養塔

 戸坂供養塔

橋を渡り 川を泳ぎ
たどりついた陸軍病院分室近く
名を告げる力さえなく
目を閉じた人たち
騎兵隊の門柱の碑
六百人とも 数知れず

解説

戸坂(へさか)は爆心地から約6キロ北の町である。戸坂国民学校にあった広島第一陸軍病院戸坂分院では村民と共同で軍民の区別なく救護および医療救護に当たった。
約600名の死者を供出 (きょうしゅつ)用の松根油 (しょうこんゆ)の残りと各部落から供出した割木や燃料で荼毘 (だび)にふした。

戸坂供養塔

これらの遺骨を仮埋葬し、騎兵隊 (きへいたい) の門柱を利用して供養塔にした。
1959年4月、遺骨は平和記念公園内の供養塔に移したが、往時(おうじ)を偲(しの)び、平和への祈りを捧げる塔として現存している。

場所:東区戸坂桜上町

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