6. 原爆の子の像(千羽鶴の塔)
解説
2歳の時に被爆した佐々木禎子さんは、10年後、小学6年生で白血病を発症した。
千羽の鶴を折れば病気が治るとの故事(こじ)を信じて鶴を折り続けたが、果たせぬままに亡くなった。
彼女の死に衝撃(しょうげき)を受けた友人たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために」と呼びかけ、全国3,100余校の生徒と、世界9か国からの支援により、碑が完成し、1958年5月5日、除幕(じょまく) した。
石碑には以下のように刻まれている
これはぼくたちの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和をきずくための
場所:中区 平和記念公園