15. 広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑
解説
日本赤十字社広島支部ができたのは1903年。病院は日中全面戦争の傷病兵の増加を予期して増築を重ねていた。
1939年には陸軍の指定病院となり、市民は外来の診察のみで、入院は軍隊関係者のみとなった。
赤十字病院は爆心地から1.5キロ。爆風圧で木造建造物は全壊、鉄筋コンクリートの施設は火事になったが職員などの消火活動によりくい止められた。
被爆直後から多くの被爆者が救護を求めて集まった。
翌7日、大本営 (だいほんえい)は広島への爆弾は「特殊爆弾」として発表した。
赤十字病院では2階のレントゲン撮影室の保管庫と地下室のフィルムが感光していたことから、「原子爆弾」と推量した。その後、研究者、科学者が「原子爆弾」と確認し、軍部などに報告した。
場所:中区千田町 広島赤十字病院