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本編-第1編-

19. 広島県職員原爆犠牲者慰霊碑

広島県職員原爆犠牲者慰霊碑

一九四五年八月六日朝
火の海となった広島
人びとが救いを求めて飛び込んだ川
あの日と同じように
干満を繰返す広島の川
せめて灯ろうを流し
犠牲となった魂を慰めん

解説

爆心地から約1キロにあった県庁舎や県の関係機関では、1141名にも及ぶ犠牲者がでた。

広島県職員原爆犠牲者慰霊碑

県庁は原爆で倒壊・全焼したため、その日の夕刻、緊急(きんきゅう)避難先に指定されていた比治山 (ひじやま)の多聞院 (たもんいん)に移し、県防空本部を設けた。
その翌日から2週間は、現在の中区銀山町(かなやまちょう)にあった東警察署に再び移して救護活動や他の業務に当たった。
その後、安芸郡(あきぐん)府中町(ふちゅうちょう)、現在のマツダ株式会社内に移動して業務を続けた。

場所:中区 加古町

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