ページ内を移動するためのリンクです。
本文へ
ナビゲーションへ
サブナビゲーションへ

本編-第1編-

11. 義勇隊の碑(安佐郡佐東町川内温井義勇隊の碑)

義勇隊の碑(安佐郡佐東町川内温井義勇隊の碑)

どんな慰めのことばも涙も
風に吹かれてゆくばかり
働き手は みんな広島で倒れた
女と子どもと
残されたものたちの暮らしを思えば
胸がつまり 息ができない

解説

安佐郡(あさぐん)川内村(かわうちそん)は、現在広島市に統合されているが、当時は広島市の近郊農業地帯であった。この村からの義勇隊員全員が、爆心地から0.6キロの中島新町付近で建物疎開作業中に被爆死した。

義勇隊の碑(安佐郡佐東町川内温井義勇隊の碑)

碑文には174名の被爆死と刻まれているが、180余名だったという。
現在は広島菜産地として有名なこの農村は、働き手を原爆に奪われて後家 (ごけ)村と称され、戦後の復興時には辛酸(しんさん)をなめた。
「原爆に夫を奪われて~広島の農婦たちの証言~」神田三亀男著(岩波新書)に詳しい。

場所:中区 平和記念公園

このページのトップへ