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本編-第2編-

12. 千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑

千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑

日赤病院があった
多くの学生生徒がいた
御幸橋のほど近く
みんな
あなたたちを憶えています
この碑のある限り

解説

1926年、広島市立千田尋常(じんじょう)高等小学校として創立された。
1945年4月、戦況 (せんきょう)の悪化により国は学童疎開 (そかい)を命じた。各自で疎開するものもいたが、教師が付き添って集団疎開も進んだ。なお、市内に留まっている学童もあったので、原爆投下により教師3名、児童41名が犠牲になった。

千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑

学内には被爆樹多数が現存している。講堂は大破(たいは)し炎上したものの鉄骨が残ったので、補修をして温室に改造されて鳥や蝶を飼育している。その中にある池には小魚類を飼って繁殖(はんしょく)させている。
被爆建物であることを心に留め、自然観察をして命を育む学習の用にしている。

場所:中区東千田町 千田小学校

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