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本編-第2編-

18. 崇徳中学校職員生徒原爆死没者供養塔

崇徳中学校職員生徒原爆死没者供養塔

クスノキ クスノキ
やけどをしながら生きたクスノキ
わたしの兄はどこへ行ったの
あなたは わたしより背が高い
知っていたら教えてほしい
わたしは 学童疎開から帰ってきたの

解説

1875年、浄土真宗 (じょうどしんしゅう)信者たちが寺門(じもん)子弟教育の専門道場「学仏場」を設立した。

崇徳中学校職員生徒原爆死没者供養塔

1913年、現在地に旧制崇徳(そうとく)中学校が男子校として開校した。

1945年8月6日、原爆被災により校舎全焼。生徒・教職員522名が被爆死した。

なお、被爆当時、校舎を軍が仮兵舎として使用しており、約200人が駐屯(ちゅうとん)していた。その多くが犠牲者となったそうである。

場所:西区楠木町 崇徳学園

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