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本編-第1編-

18. 韓国人原爆犠牲者慰霊碑

韓国人原爆犠牲者慰霊碑

故国の夢を幾度みただろう
同胞たちが 心あわせ
持ちよった志が ここに建つ
海峡を向いて
故郷の石で
異国で倒れた人びとの名を刻む

解説

被爆した朝鮮王家の李殿下の馬の鞍(くら)が発見された場所に近いという縁で、最初の慰霊碑は、1970年4月10日、在日本大韓民国居留民団広島県本部によって本川橋(ほんかわばし)西詰北側に建てられていたが、世論 (せろん)に推(お)されて1999年7月、平和記念公園内に移設された。

1971年、広島平和資料館編纂(へんさん)の「広島原爆戦災誌」によれば、第二次世界大戦時、広島県下在住の朝鮮人は約6万人、このうち3~4万人が広島市内にいて被爆したと記録されている。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑

被爆死者数に関しては、碑文に2万余名と刻まれているが、確かなことは分からない。

韓国では死者は亀の背に乗って冥界 (めいかい)へ送り届けられるという。この碑の亀は祖国の方角に向かって建立されている。碑の周囲を彩っているのは韓国から寄贈された国花ムクゲである。
慰霊祭は毎年8月5日、この場所で行われている。

場所:中区 平和記念公園

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