17. 広島市立高女原爆慰霊碑
解説
広島市立高女では、建物疎開作業をしていた職員・生徒679名が原爆で亡くなり、市内の学校の中では最も多くの犠牲者が出た。
1948年、最初の碑は母校、すなわち現在の舟入高校に建立された。当時は連合軍の占領下(せんりょうか)であり、言論統制 (げんろんとうせい)をされていたので「原爆」という文字が使用できなかった。
苦肉(くにく)の策として、中央の少女が持つ箱に、アインシュタインの相対性理論に由来する原子力エネルギーの公式「E=MC2」を刻んで追悼(ついとう)としたという。
1957年に平和記念公園南側、元安川(もとやすがわ)の近く、現在地に移された。
碑の裏面には当時の校長・宮川雅臣(みやがわまさおみ)氏の歌が刻んである。
友垣に まもられながら やすらかに ねむれみたまよ このくさ山に
場所:中区 中島町