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本編-第1編-

7. 原爆供養塔

原爆供養塔

せめて慈仙寺の境内に
運ばれた遺体は丘の形になった
待つ人のそばにたどりつくことなく
無念だったひとたちが眠る
いまも
帰りたがっているのです

解説

1945年8月6日被爆直後、現在の原爆供養塔辺りにあった慈仙寺(じせんじ) の境内(けいだい)は、臨時火葬場となった。そこには、氏名、年齢、性別などほとんどわからない痛ましい無数の死体が運ばれ火葬された。
翌年、広島戦災供養会が創立され、同年5月仮供養塔、同年7月仮納骨堂・礼拝堂が市民の寄付によって建てられた。
被爆10周年目、広島市が中心となって地下に納骨堂のある、現在の供養塔が建てられ、各所に散在していた遺骨をここに納めた。

原爆供養塔

いまだに引き取り手のない遺骨数万が納骨されている。
毎年8月6日を中心に広島戦災供養会を始め広島県宗教連盟及び各宗派による慰霊行事が執(と)り行われている。
2005年8月、納骨時期や状況が1覧表になった案内版が設置された。

場所:中区 平和記念公園

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